日本に於ける教師像について

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           晩 秋 の 賀 茂 川
 

欧米の教師比較して、日本の教師社会的地位は、ところ位置しています。これは、欧米の教師の役割は、「頭の教育・教科(Instruction)」だけで、「心の教育(Education )」については、西欧では、伝統的に、教会がその責務を負っていからです

 日本の教師は、上記の2つの役割を、社会から背負わせられているので、社会的地位が高く「先生」という称号与えられていて一方西洋では、牧師「Reverend(師)」という称号はありますが、教師には無い所以です。

 日本には、西洋のような、「教会制度」なく第2次世界大戦以前は、儒教道徳による教育」が、日本ではわれていました

 この戦前の教育は、現在の北朝鮮の教育似たところがあり、「マインドコントロールの伴う強烈な教育」でした。

 戦後「個人の信仰の自由・人権問題等」により、戦前のような、「強烈なマインドコントロールを伴う儒教教育」不可能となっています。

 にもかかわらず、日本の社会は、歴史的・伝統的な流れから「心の教育は教師がするもの」と過去と同じように「教師の社会通念」を捨てずに日本人教師にその責任を負わせたままです。

 その一方で日本政府は、戦後崩壊した「心の教育」どのような方針で行っていくかを明確にせずに、西洋の教師同様「教師も労働者」見なし「三六協定」なるもので、教師を縛り心ある教師「心の教育」行うことを、さらに難しくしています。

 すなわち教師「時間の変数」で縛ることは、「子供の心の教育や、子供の才能を引き出す」という、「Education」心ある教師に、さらに不可能にさせるだけなのです。

 では、「心ある教師」とはどのような教師なのでしょうか「知的インテリジェンスの高い、賢い教師」のことでしょうかいいえ賢い人は、教師に不向きです。 なぜなら頭の良い人は、出来ない生徒の気持ち理解できませんし、成績の悪い生徒たちが、なぜできないのかが分かりません

 心ある、優秀な教師とは、子供が好きで、自分の関わった子供を愛せる人のこと」です。

 マザーテレサ言うように、愛の反対は「無関心」です。自分の受け持ちの生徒たちが、「すくすくと成長しているかどうかフィードバックをしてあげる」同時に、「非行に走っていないか、家庭内暴力など受けていないか」など、いつも徒たちを観察しているのが、「心ある優秀な教師」なのです。

 従って生徒を教育するには、時間の変数に囚われていては何もできないのです。心ある教師が多くいるかぎり「三六協定」は、日本ではいつか破綻する私は考えています

 しかし「三六協定」破綻しても、日本の教師には、「心の教育(Education)」によって生徒の才能を引き出すこは、戦後は戦前より難しくなっています

 生徒の成長には、「教科教育(Instruction)」だけでは、不十分なのです。

 わかりやすく言うと、「どんなに知識がある生徒を育てることができても、その子が、核兵器を作るような人間に育ててはならない」ということなのです。

 「心の教育」を考えた時教師は、「宗教」というものをけて通ることはできません「心の教育」生徒の心の内に良心を持たせることであり、「他人が見ていない所での自分の心と神との関係」部分が存在するからです。

 神とは、仏教・儒教キリスト教等の神だけではありません無宗教」も一つの神なのです。

 日本において、「心の教育」重視されねばなりません

 日本の教育、生徒たちの内面「良い果実」実らせるためには、制度改革も必要です。私立学校だけでなく、公立学校絶対に道徳規範を持たねばなりません

 家庭には、「信仰の自由」が人権として与えられているのですから、公立学校私立学校と同じように「仏教道徳の学校」・「儒教道徳の学校」・「キリスト教道徳の学校」・「無宗教道徳の学校」から、保護者は、自分の家庭に最適な道徳規範のある学校選べる制度必要です。

 日本の教育の質向上させるためには、「教師の質」考えねばなりません

 プロの教師になるためには、教科教育どれだけできても不十分です。「心ある教師」には、信念持っていることが必要です。

 しかし、「信念」一つだけではありません

 「プロの教師になること」頂上だとすれば、頂上に上る道いくつもあるはずです。

 どうか、若い皆さん各自が自分信じる教師道」を貫いてくださることを祈っております

 最後に、私の教師としての信念紹介して終わりたいと思います。

私の教師としての「信念」

 私は若い頃教育論を数多く読みました

 その中に鯵坂先生著書であるがありました。その一節に、親鳥ヒナ育てる所に、教育の原点がある」という内容の部分がありました。

 40年以上教師生活して来た私は、このことの深い意を、「自分信念」としてきたように思います。

 本能と言えばそれまでですが、親鳥は「無私で、に居るヒナたち運んできます

来る日も、来る日も、餌を運んで来ます

 親鳥はヒナの成長のために必要なものはたとえヒナが好まないものでも、口に押し込みます

 しかし、巣立っていく自分の子たちには、見向きもせずにまた新しく生まれたヒナたちためだけに親鳥同じように働き続けます

 教師の中には生徒と友達になることを望む教師もいます。

 私は違いました。生徒の成長を望む時教師は、生徒たちが好きなものだけを与えられるとは限りません

 生徒たちの成長を願い憎まれ役になって、教師苦いこと嫌な事わなければなりません

 また叱らなければならないこともあります

 現役の生徒たちからは教師好ましい存在ではないことが多いのですそれでもある教師は、成長して巣立って行く生徒夢見て、「親鳥がヒナに餌を運ぶ」ように、齷齪と働くのです。

 私にとつて、巣立った生徒成長して、立派な姿を見せてくれることが、一番の喜びでした。

 しかしその喜びよりも親鳥のように、今、目の前に居るヒナたちのために働くこと一番大切」と考えるのが「私の信念」でした。

 「森が火事になりました火事になった森の木の一本にヒナ鳥数羽いる巣がありました親鳥気が狂ったかのように、巣の上空を何回も旋回しています。 

 巣のある木まさに、燃え移ろうとするとき親鳥突然巣目がけて急降下し、舞い戻りヒナたち自分の羽保護したまま動こうとしません

 翌朝黒焦げになった、親鳥とヒナ鳥が発見されます。」

 森が火事になった時よく発見される光景です親鳥気が狂ったのではありません

 親鳥のヒナを守ろうとする「無私の愛」死の恐怖に打ち勝ったのです。この無私こそが、生徒たちている時教師にも必要だ。」と、私は考えて40年間教師を続けてまいりました。

 若い皆さん、良いプロの教師なる道一つではありません。しかし、「プロの教師の頂き上り詰めるには、「信念」必要です。

 若いみなさんが、それぞれの教師道貫かれることを期待しております。

 

 

 

 

 

原子力発電には断固反対いたします。

    サ ン セ ッ ト   日  没     岡  山

 

 地球温暖化に対処する為、また、ロシアのウクライナ侵攻により、エネルギー代金高騰の為原子力エネルギー見直されようとしています。しかし、敢て再度原発に対して反対し、警笛を鳴らします。

 日本政府は、エネルギー政策について、「脱炭素エネルギーを目指して、2050年までに、温室効果ガス、0%を目指す。」と公言しています。

 確かに、地球温暖化に対して、2050年まで、「地球温暖化が生み出す、あらゆる弊害対処しなければならない」のは事実です。

 しかし、京都大学地殻変動額学」専門家は、この先30年間は、地球温暖化に進む可能性高いが、百年、二百年単位で地球れば、氷河期に向かって、ゆっくりと寒冷化に向かう可能性が高い。」公言しています。

 寒冷化に向かう大きな要因は、「火山活動」とのことです。火山が大爆発すると、空中に火山灰舞い上げ、それによって、太陽光線が地球上に届く量甚だしく減少するため作物が取れなくなるほど、寒冷化が進むのです。

 日本火山が多いです。そんな国で、炭素エネルギー0%にすることは、危険な選択肢と私は考えます。

 2050年までに、温室効果ガスを出す炭素エネルギーを「0」にする為、太陽、地熱、風力、水などの、他のグリーンエネルギーだけでは、現在の電力を賄うことができないのは事実です

 現在、日本政府では、それを口実に、原発正当化する」という、目論見が浮上しております。

 私は、原発」には断固反対です。日本国民は、原発事故に見舞われた「福島の悲劇」忘れてはいけないのです。

 私達は、この悲しみを歴史に刻み、歴史から学ぶという姿勢を、絶対に失ってはいけないのです。

 2011年福島の原子力発電所で、メルトダウンという事故が起きました。地上で「メルトダウンが起きた場合、「広島・長崎の原爆の約400倍」の放射脳発生します。放射能汚染は億年単位続きます。

 広島、長崎とは違って、放射能除去装置が発明されない限り「半永久的に事故現場周辺では、生活する事すら出来ない」のが現状です

 日本の様に、地震津波起きやすい国で、どうして原発は安全だ」言い切れるのでしょうか

 原発の専門家は、東日本大震災の前は、「原発安全宣言」を出し、事故が起きれば、「想定外の事が起きた」弁解し、現在、また、地震の備えは出来た」「安全宣言」を出しています。自然界を見切って、支配している口ぶりです

 この傲慢さ東日本大震災」を招いた事を気付かず、専門家たちは懲りずにいます。

 自然の力は偉大であり、脅威です。人間の知力で、推し量れる範囲には限界があるはずです

原子力発電所の事故は起こりうるのです。専門家が言うような、原発の完全安全」など、あり得ないのです。

 さらに、原発は、平和憲法全方位外交のもと、どの国とも仲良くして行くという外交政策があったからこそ始めることが出来ました

 しかし、現在中国・韓国・ロシア・北朝鮮、それぞれに、「争いの原因」日本は持っています

 特に、土地所有が原因の争いは、バランス崩れた時に必ず戦争になる」というのは、歴史が証明しているところです。

 暴走するロシアの「南下政策」、習近平氏が指導する中国共産党の「清朝領土再興政策」は、差し迫った「日本の脅威」となっています。

 一旦争いが勃発すれば、テロ行為、ミサイル攻撃で、原子力発電所が、脅迫や攻撃目標にされるのは明白です。

 現に、ウクライナにあるヨーロッパ最大の原子力発電所は、ロシアがウクライナに侵攻に際して、原子力発電所を、ウクライナに対する脅迫と攻撃目標にしているではありませんか。

 原発周辺「ホットポイント」してしまえば、300万人が避難しなければならなかった「福島の悲劇」繰り返すことになるでしょう

 もう二度と「原発事故」を起こしてはならないのです。原子力エネルギー頼ってはならないのです。

 放射能除去装置AIによる機器等の発明により、原発事故」に100%対応できる対策が、完全確立しない限りグリーンエネルギーとして、原子力エネルギーを選択するべきではないのです。

 最近、「事故を起こしても、対処し易い、小規模の原発」が話題になっていますが、向こう30年、即ち、2050年までの実用化は、ほとんど不可能な様です。

 仮に実用化できても原発採用当時からの基本問題であった、核のゴミ高レベル放射性廃棄物の処理問題」について、日本も他の先進国諸国も、解決策は未だ発見できずにいるのです。

 人類は、「高レベル放射性廃棄物処理法生み出す前に原子力発電」を選択してしまったのです。

 人類原子力エネルギー」を選択してしまったのはゲーテの戯曲に出て来るファウスト博士の選択」同じ選択をしてしまいました。

 即ち、「ファウスト博士は、永遠の若さを手に入れるために、悪魔、メフィストに魂を売り渡してしまいます。人類無限のエネルギーを手にいれるために、地球を永遠に汚染してしまう悪魔の誘惑に負けてしまったのです。」

 今回の日本の「脱炭素エネルギー政策」の陰に、ファウスト博士の亡霊のような、原発の誘惑に負けてしまった学者たち企業見え隠れしています。

 原発」を忖度するような政策には、私達国民は「NO」と言わねばなりません

 私は、日本政府のエネルギー政策の見直しを切望いたします。

 では、どのようなエネルギー政策が、日本にとって、良いのでしょうか

 私の意見は、「上記で述べましたように、日本は、火山の大爆発等により、温暖化が寒冷化に激変する可能性のある国です。確かに2050年までの30年間は、地球温暖化による環境危機」備えるあらゆる努力必要です

 しかし、原子力エネルギーを使う事は、さら地球環境を悪化させることにしか繋がりません。

 しかも、百年、2百年単位で地球環境考えるなら「地球は、ゆっくりと、氷河期に向かい、寒冷化に進んで行きます。」

 さらに、日本では、2050年まででも、火山の大爆発により「日本は、寒冷化に変化してしまう可能性」さえあります。

 従って、温室効果ガスをゼロにするために、炭素エネルギーを「0」にするというのは、得策ではありません

 日本のエネルギー政策は、「水力・太陽光・風力・地熱等の安全エネルギー主軸に据え不足する電力は、発生した二酸化炭素を、外界に放出することなく再利用できる「炭素エネルギーの最新技術」を開発して行くのが、より良い選択です

 たとえ、日本が、脱炭素をして、温室効果ガスを0%できたとしても、大国、「中国」・「アメリカ合衆国どちらかが、「温室効果ガス0%実施する」のを中止すれば、日本の努力は、地球に何の良効果も与えることも出来ずに、無駄になります

 特に、暴走する中国共産党が、温室効果ガス0%」よりも、自国の利益だけの為「炭素エネルギーを復活させる可能性は非常に高い」と思われます。

 その場合、開発途上国も中国に習い、火力発電を主力していくでしょう。中国は、温室効果ガスを依然出す低次元の技術をプラント輸出さえするかもしれません。

 日本は、「炭素エネルギーが復活する未来の世界状況」見据えて「発生する二酸化炭素を、外界に出すことなく再利用できる技術」に取り組んで行くべきなのです。

 少なくとも、日本の技術力なら、「中国より、環境により優しい技術開発を完成させる」ことは、絶対に可能なはずです。

 この技術を世界にプラント輸出するならば、日本の為にも、世界環境にとっても、最も素晴らしいエネルギー政策となります。

 ロシアのウクライナ侵略の為、天然ガスが手に入りにくい現状ですが、人類の為、決して、足りない電力を原子力エネルギーで賄ってはならないのです。

 政治家の皆様ファウスト博士の亡霊のような、「原発を推進したい」という誘惑に負けた学者たちや企業に耳を貸してはいけません

 人類のために、日本の政治家の方々が、エネルギー問題について英断を下していただけることを切に望みます

 

 

 

円安は悪くない。主悪の根源は、財務省に操られる総理大臣です。

     冬 が 近 く に   森 林 公 園   岡 山

 が強い時は、一時期、1ドル75円の時もありました。しかし、現在、円安です。

 為替レートの急激な変化は、国民経済にとって、マイナスでしかありません

 特に、経営状態が脆弱な中小企業にとっては、最悪です。

 しかし、日本政府大企業円安に耐えられるだけでなく、プラス面が大きいのです。

 なぜならば、日本政府も大企業も、ドル債を、為替相場1ドル100円前後の時に、購入しています。

 例えば、日本政府は、円安150円と仮定するならば、保有ドル債からの利益は、「28兆3000億円」だそうです。また、大企業のドル債からの法人税も「15兆円」が見込めると、元財務官僚、高橋氏は言っています。

 今、岸田首相率いる政府がやらねばならない事は、貧困に喘ぐ「国民」と、円安による困窮で、まさに倒産に追い込まれようとしている「中小企業・輸入業者を救済」することです。

この件について、岸田首相が答弁した言葉は、「円安メリットを活かし、海外展開を考えている企業を援助する」というものでした。

この様な海外展開ができるのは、限られた輸出業・大企業だけで、大多数の輸入を主とする企業にとっては、何の益もありません

 困窮に喘ぐ人たちが居なくて、国民に余裕があるのであれば、そのような政策が第一に語られるのは悪くありません。

 しかし、コロナ禍が続き、ウクライナ戦争により、物価高が世界で吹き荒れる有事の最中、さらに、円安に苦しむ国民が増えている時に、まず、援助策を立てなければならないのは、円安で困窮し、「青息吐息」の中小企業の為ではないでしょうか。

 岸田首相の政策は、「強気を助け、弱気を挫く政策」ではないでしょうか。

 元内閣参与、京都大学大学院教授の藤井氏は、次のように述べています。「円安による物価高で国民は圧迫されています。国民の圧迫感は、現在10%の消費税率が13%に上がったのと同じ圧迫感である。」と言うのです。

 さらに、「今こそ、消費税の凍結、もしくは、消費税率を下げての減税が、日本に大きな利益をもたらし、先送りになっている『国民所得の上昇』にも繋がる」と言及しています。

 これに関して、元大蔵・財務官僚、高橋氏は、円安効果による外貨債の売却による利益で、2年間は、消費税凍結できる財源ができる」とも断言しています。

 岸田首相は、「所得倍増計画」を掲げて、総理大臣になりました。

 ところが、総理大臣になると所得倍増計画」を「貯蓄から投資に全国民を向かわせる、資産倍増計画」にすり替えてしまいました。所得倍増計画」と「資産倍増計画」とは、言葉が似ていますが全くの別物です。

 「岸田首相は、国民をペテンにかけた」言われても仕方ありません

岸田首相は、名誉挽回しなければなりません。

 そんな折に、岸田首相が望んでいた「所得倍増計画」がドル高・円安によって、可能になったのです財源が確保出来たのです。

 ところが、国会に於いて、野党議員「消費税率の引き下げによる物価高対策」提案した際、

岸田首相は即座に、「消費税率引き下げ」を否定しました。

広く耳を貸す」と公言しているはずの岸田氏は、この事に理解を深めようとしません。

 なぜですか。なぜ、岸田首相は、財務省と同じ意見に固執するのでしょうか

元内閣参与、藤井氏は、「今こそ、消費税率を下げて、経済活性化を世界一効率良く出来るのは、日本である」と公言しています。

 総理大臣へ立候補する為に、国民にアピールしたのは、「所得倍増計画」であったはずです。

それであるのに、「物価高対策」だけでなく、所得増に繋がる「消費税率引き下げ」に何故耳を貸そうとしないのですか。

 これでは、岸田総理大臣は、庶民が苦しんでいる時に、埋蔵金を自分たちの為だけに貯め込む、『昔の悪代官』と変わりが無いのではないですか。

財務省は、「一旦、消費税率を下げると上げられない」うそぶきますが、ウクライナ戦争による物価高が終わるまでの、期間限定的凍結」にすれば、何の問題もありません

経済が活発に成って行くにつれて、段階的に税率を戻して行けば良いだけです。

 どうか、財務省と岸田総理大臣に、「消費税率引き下げ」について再考をお願い申し上げます。

 

完全な防災よりも、出来る限りの減災を ?

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         加 茂 川 の 水 鳥   京 都

 

 私は、夢・幻を見ました。私は学生に戻っていて、大学で有名な教授の講義を受けているのです。講義内容は、「地球環境学というタイトルです。300人程度の受講生の講義ですが、講義の内容があまりにも、ショッキングなので、誰一人雑談する者もなく、真剣に受講しております。

「本日は、南海トラフ地震についての話です。地震の歴史から紐解きを試みた結果、まず、名古屋沖、続いて、東海沖、最後に、南海沖という3連動南海トラフ地震が、向こう20年の間に起こる確率は、100パーセントです。つまり、2030年から2040年までに、確実南海トラフ地震は起きると予測しなければならないということです。」

 教授はさらに講義けます。南海トラフ地震被害額は、建物の被害額だけでも、220兆円、この額は、日本の税収の3年分にあたります。すべての被害額を計算するならば、1400兆円以上の被害となります。

 地震のための防災必要ですが、現在、政府は、「コロナ禍・経済問題、特に円安・日本防衛力の強化・ウクライナ問題等」、至急対処しなければならない課題を抱えているのは事実です。

 地方自治体も、地球温暖化のために起きる災害、特に洪水対策に追われ、地震対策後回し等閑にされているのが現状です。完全な防災を望むのであれば政府・地方自治体の公助力必要ですが、それを望めない現在の情況では、私達国民は、自助力により、自分たちの被害を、出来る限り小さくする努力をするべきなのです。すなわち、「出来る限りの減災」日頃から心掛けなければならないのです。」

 私は、この講義で語られた事を真剣に耳を傾け厳粛に受け止めました。

  は続いて、場面は「防災ショップの中」に変わりました。

 私は、もはや学生ではなく、現在の自分、即ち、69歳の3人の子供の父親であり、3人の孫を持つ老人に戻っておりました。

 防災ショップ内で、私は、講義で語られた、「自助力による、出来る限りの減災を実行できる品物」を購入しております。

 まず、私が購入したものは「2週間分の水と非常食」です。

 マグニチュード「9」以上の地震が起きた場合、自衛隊救助隊が救援に来るには時間が掛かり、長い間到着しない可能性があるからです。

 次に購入したのは、2週間程使用可能「ポータブル発電機」「簡易トイレ」手回し発電で使えるラジオ懐中電灯物の下敷きになっている人を救出するためのシャベルや鋸の入った「工具セット」防寒のための「折り畳み式毛布」停電時のための「ランタン」、その他、万能ナイフ、マスクを含む救急用品筆記用具等は、水にも、火にも強いものを選び、持ち出せる物だけ非常持ち出し用リュックサックに入れました。

 家に帰っても、「神から、災害の予言を受けた旧約聖書のノアのように、災害のための防災準備に余念がありません

 まず、自室の上の方には、重たい物を置かない工夫をいたしました。また、家具が倒れないように、「接続器具」を使って、壁・天井に家具を接続いたしました。

 親しい大工さんに頼んで、自室のガラス製サッシに、ガラスが内部で散乱しないよう、透明フィルムってもらいました

 本棚からが散乱しないように、防災グッズを使って、工夫もいたしました。

 の場面は、私の自室に変わりました。時間は、明け方近くのようです。

 私はベッドに寝ています。とその時突然、大きな縦揺れに続いて、数十秒間、激しく横揺れが続きました。

 その、まず、私は自分の頭を守ろうとして、机等の下に入ろうとしましたが、あいにく、適切な家具ありません

 そこで、私は、手元にあった、大きめの分厚い雑誌を、手で自分の頭にえて頭を保護いたしました。

 そのおかげで、手に軽傷負ったものの頭と顔は無事でした。

 まず、非常用バックから、ラジオを取り出し、情報を入手いたします。

 ついに、南海トラフ地震現実となったようです。すでに、海岸近くの人々には、「津波に備えて、高台に避難をするように」と警報が出ています。

 2時間後何度も押し寄せる余震怯えながらも、私は、空が明るくなったのをに、非常用バッグから丈夫そうな「底圧スリッパ」を出して履き、バッグを背負い、外に出てみることにしました。

 に出てみると、辺りは、「瓦礫の山」していましたが、不思議火災はほとんど起きていません。

 神戸大震災からの経験が生かされたのでしょう。地震発生と同時に、多くの火の元栓は絞められたのではないでしょうか。

 真冬で、外は冷たい風が吹く、本当に寒い朝でした。私はたまらず、非常用バッグの中から、折り畳み式毛布と火を付ける為のライター・チャッカーを出しました。

 ラジオからの情報で、この付近のガス栓は、大元から遮断されていることを確認し、さらに、この付近にガス漏れは無いか臭いも確認してから、空き地真ん中に、瓦礫の中破損した木材利用して、焚火を炊くことにしました。

 毛布を肩から被りながら、焚火から暖を取り、しばし私は茫然自失の状態ました。

 ふと、我にかえると、まわりに、たくさんの人々も暖を求めて集まって来ていました。

 人々の顔には、涙はありませんが、私と同じく茫然自失の状態で、炎をただ見つめております。そこには、悲しみの深さが窺がえました

 その人々の中に、パジャマ姿の幼い男の子が、寒さ震えているのを見つけました。私は、その男の子に近づき、そっと、私の毛布男の子にかけてあげました。

 その幼い男の子は、私の孫同じくらいの年で、その幼い男の子姿は、私に「孫は大丈夫だろうか」という考えに、私をいてくれました。

 娘夫婦は、私の家の近くに住んでいましたので、とは、「もし、地震が起きたなら、避難場所指定されている小学校落ち合おうと、かねてから、約束していたのを思い出しました。

すぐに急いで、非常用リュックだけを背負い約束小学校向かいます

果たして、孫は、娘夫婦と一緒に小学校にいました。私達は、全てを失いましたが、孫と娘夫婦が無事でいてくれたことを神様に感謝しました。

 その時、一つの知らせが、小学校に届きました。「まだ、崩壊した家屋の下に生き埋めになっている人たちがいるけれど、救助隊の到着は間に合いそうもないので、救助を手伝ってくれるボランティアを募る」とのことでした。

 私は、即座にボランティアに参加し、学校にあったシャベルと鋸を持って、生存者がいるかもしれない現場に、走って向かいました。

 2時間ほど、救出作業に没頭している時でした。崩壊した家屋の下から微かな、弱々しい赤ちゃんの泣き声が聞こえるではありませんか。

 「おい、赤ちゃんだ。赤ちゃんが生きているぞ」とボランティアの一人が叫んでいます。

 私の目はもうでいっぱいで、前が何も見えませんでしたが、必死でシャベルを使い掘り進みます

 障害となっている大きな柱を鋸で砕いて行きます。

 遂に、赤ちゃんが救出されました。赤ちゃんは、偶然にも、瓦礫と瓦礫の隙間に居て、奇跡的に生存していたのです。

 私達ボランティアは、抱き合って、赤ちゃんの無事救出喜び合いました。

 地震発生後、初めての夜を迎えています。救援物資はまだ、届いていないので、自宅に戻り、備えていた水・食料を持参し、他の人たちと分かち合います。断水の中、簡易トイレを学校の然るべき位置に備え、共同で使うことにしました。

 また、電気が途絶えているので、ポータブル発電機を利用し、被災者全員の携帯電話充電使用しました。

 ランタンを使用することもできました。そのおかげで、書類を読むことや、作成することができました。

 筆記用具も役にたちましたが、特に役立ったのが先に蓄電装置が装着された油性のボールペンです。雨で濡れても、滲まず読むことができ、夜に電灯が無くても書けるからです。

 悪夢のような一日が終わろうとしています。

 多くの持ち物を失いましたが、不思議と私の心は、平静と安らぎ、そして、微かな光も差し込んでいるような感覚です。

 「出来る限りの減災」のお陰で、家族全員が無事だったこともありますが、何よりも、私の心の中に平和があるのは、「災害を受けた者たち同士が、分かち合い、助け合い、労り合うことができたこと」、それが、大きな要因のようです。

 神戸大震災、東日本大震災の時に、人々が示してくれたのと、同じように、「世界が驚異と感じる程の、日本人の素晴らしさ」を、私達も再び、示すことができたからです。

 大災害が起きた世界の都市では、治安が悪くなり、人々が理性を失い、強盗・強姦など、野獣と化すのが常識です。

 しかし、日本では、秩序が保たれ、人々は、お互い助け合っているのです。

 西洋社会の人々は、この事に感嘆しているのです。

 全世界の人々は、驚嘆と称賛日本人に与えているのです。

 私は、自分が日本人であることを誇りに思い、日本人の素晴らしさに対する誇りと感動で、涙が溢れて来ます。頬に流れた涙の冷たさで、私は夢・幻から目覚めました

 さて、現在、コロナ禍で、政府も自治体もその対策で懸命です。

 また、地球温暖化による大雨などの天変地異にも、備えなければなりません。しかし、巨大地震も、将来必ず起こる大災難です。

 政府・地方自治体が、コロナ禍の中、経済対策優先で予算等進めるのは、仕方がないにしても、地球温暖化による天変地異と巨大地震の災害は、優先順位をつけずに、対策を進めねばなりません。

 現在、東日本大震災の大きな余震も起き、地震の恐ろしさを、再認識した私達国民は、「自助力による減災対策」を進める必要があります。

 それと共に、コロナ禍中にあっても、地球温暖化による災害と同じ様に、「公助力による、出来る限りの防災対策」を求める世論を創り出す努力をしなければなりません。

 即ち、政府と太平洋側の各自治が、「緊急巨大地震対策本部」を速やかに機能させ、防災を進めるよう、私達国民は、声たかだかに訴えていかねばなりません。

これが本日のメッセージです。

 

 

大韓航空機事件 「九死に一生を得る」

銃撃直前の写真

1978年「ロシア(ソビエト連邦)の戦闘機に大韓航空撃墜されました」

私はこの大韓航空機に搭乗しており、「九死に一生」を得ました。

この写真は、私が撮影し、某新聞社の「報道写真年間グランプリ」を受賞しました。

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   この記事は、2020年9月10日に発表したものです。

概 略
 皆さんは大韓航空機事件」と言われて、どの事件を思い出すでしょうか。一番日本人にとって衝撃的なものは、「樺太沖で、その当時ソビエト連邦と呼ばれていたロシア戦闘機によって大韓航空機が銃撃を受け、撃墜された事件」ではないでしょうか。この時には悲しい事ですが、すべての乗員・乗客が死亡するというものでした。しかし、それよりも前、今から40年以上も前に、同じような事件が、ソ連フィンランドの国境線」のところで発生しました。「私はその大韓航空機に乗り、九死に一生を得た人間です。この出来事から、社会の人々、特に生徒のみなさんと教師の方々に「少しでも勇気を与えられるお話」ができればと願っています。


事件前
 私は学生時代、「卒論」の研究のためイスラエルに行くことになりました。しかし、イスラエルという国をよくご存知の方でしたら理解していただけると思います。イスラエルは、今も、その当時も「血生臭い事件が絶えない国です。

私が滞在した時も、テロによってバスが時限爆弾によって爆破されたり、学校が占拠されたり、血生臭い事件は日常茶飯事でした。そのため、私にはイスラエル暮らす事は、死と背中合わせに暮らすことのように思えました。

 そのため、イスラエルで暮らすうちに、私にはある一つの覚悟ができていました。「私は危険を承知でこの地に来たはずである。もし命を落とすことがあっても、それは自業自得だ。しかし同じ死ぬなら、価値ある死に方をしたい。」
 
価値ある死に方とは、

もし、自分が死ぬ時に幼い子供が巻き込まれているなら、その命を救いたい。死ぬ際に見苦しいまねだけはしたくない。死に際だけは潔くありたい。という意味です。

 このような覚悟を持ってイスラエルで暮らしていましたので、私の毎日は充実したものとなりました。なぜなら、「明日、命を落とすかもしれないという気持ちが、今日という日を精一杯生きよう」という気持ちにさせてくれるからです。しかし、神様は「この覚悟が本物かどうか試してやろう」私に試練を用意されていたようです。

 しかも、私の予期していイスラエルの地ではなく、思いもよらないところで「試練」は起きました。

 

事件発生

 1978年4月20日、無事イスラエルでの研究を終え、ヨーロッパを独りで放浪した後、私はパリから大韓航空に乗って、帰国の途に着きました

飛行機に乗って数時間が過ぎました。私は左翼席に座っていたのですが、右翼席地平線にまさに身を沈めようとする太陽の美しさにつられ、カメラを持って右翼席に移動しました。

 とその時、ミサイルを装備した戦闘機私たちの乗っている大韓航空に平行して飛んでいるのが分かりました。

 私は咄嗟にカメラのシャッターを押しました

 戦闘機はなおも大韓航空機に接近してきました。誰の目でても、接近が「異常」であると理解された時、私は怖くなって自分の席に戻りました

 数分後、突然戦闘機は機体を立てて、後ろに下がって行きました。私は不安な気持ちを紛らわそうと新聞を読んでいたのですが、

 「その時です。」すぐ後ろで青白い光が走ったかと思うと、「ぱーん」とい、鋭くて乾いた音がしました。 

 すると、私が持っていた新聞は「あっ」という間に燃えてなくなり

 私の頬を生ぬるい風がすり抜けたかと思うと、目の前を私の鮮血が飛んでいくのがわかりました。

 私はやられたと思い、傷ついた頬を手で押さえながら後ろに振り替えると、あたり一面「血」の海でした。

 すぐに硝煙の臭いが立ち込め、急降下が始まりました。

 しかし、乗客である私たちには、「真っ暗な中、下へ落ちて行く機体左翼を見ると、翼は爆発で先が無くなり炎上しています。」

 私たち乗客にはそれは、「墜落」でしかありませんでした。

機内の中

 「あぁ、もうだめだ」という思いが脳裏をかすめました。 

 私は落ち着くために、大きな声で讃美歌を歌いました。たとえ死の陰の谷を歩むとも、災いを恐れません。主が私とともにおられるからです。聖書詩篇23編の歌詞です。

 私は何度もこの歌を歌うことによって、冷静さを取り戻すことができました。

 大韓航空機は3000メートル上空をなおも飛びつづけました。

 その間に起こったことは、今でも私の脳裏から離れません。あんちゃん、大丈夫か。」自分の両足の怪我も忘れて、出血多量で危篤状態の兄に叫び続ける日本人の方「白いワイシャツがあっという間に血で真っ赤になった友を抱えながら嗚咽する韓国人の方、しかし、その友から、もはや何の返事もありませんでした。

 私はハングルを全く知りませんでした。しかし、友人を抱きながら腹の底から絞り出す「アイゴー」という鳴き声の言葉は、私の脳裏から離れることは一生ありません。


奇跡
 大韓航空犠牲者を出しながらも旧ソ連領内に着陸しました。いくつかの偶然が重なって着陸に成功したのですが、それは奇跡しかありませんでした。

 奇跡の幾つかを紹介します。着陸後、軟禁され、取り調べを受けていました。その時、たまたま、私は、大韓航空機の機長と話しをする機会がありました。

 以下は、機長からのお話です。「銃撃後も飛び続けていたのは、燃料を使い切るためでもあったが、至る所に「高圧電線」があったので、着陸が困難であった。

 そこで、凍った湖の上に着陸することを決断した。しかし、4月になっていたので、氷の厚さがはたして、100トンの機体の重さ耐えられるのか、上空から判断できるはずもなく一か八かのギャンブルでしかなかった。」さらに、機長のお話は続きます

 しかし、偶然にも、氷の厚さは百トンの機体の重たさに耐えるだけの厚さがありました。
 さらに、機長は続けます「着陸する時に、車輪が中途半端にしか出なかったことも、我々には幸運であった。
 もし、正常に車輪が出ていれば氷の上なので、停止できずに、どこかにぶつかり炎上していたでしょう。ぜんぜん車輪が出なければ翼のエンジンが氷との摩擦で機体は爆発炎上していたかもしれない。

 車輪が中途半端にしか出なかったこと胴体着陸がより楽にできた

 しかし、何よりも奇跡だと思うのは、戦闘機に銃撃を受けた時、私たちは3500フィート・1万3千メートル上空にいたが、爆発で機体に拳大の穴があいた。普通、このような高度で飛行している際にそのような穴が開けば機内と外との気圧の差で空中分解しているはずだが、なぜ空中分解しなかったのか、私には分からない。」

 この言葉だけでも、いかに私たちが助かったのが奇跡であるか理解していただけると思います。
 

メッセージ

 さて、皆さんに今日伝えたいメッセージは、「人間にとって最も大切なことは、死という極限状態に追い込まれても、人間としての尊厳を失わないこと」です人間は「死という極限状態に追い込まれる動物化して自分のことしか考えなくなるものです。

 皆さんが私と同じ経験をすることはないかもとれません。しかし、もうすでに国際舞台で働いている人も、これから働こうという若者たちも、

 「戦争・自然災害・感染病」など死という極限状態に追い込まれることは十分にあり得ることです。そんな時こそ、あなたの真の価値が問われる時なのです。逆境に置かれこそ、あなたの真価を発揮するときなのです。

 そして、教育の目標「このような事を成し遂げる力の人物育成」にあるべきだと私は思うのです。

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イスラエルと日本の大きな違い

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     濁 流 か ら 蘇 る 賀 茂 川     京 都

      この記事は、2021年2月4日に発表したブログです。

 

 私は夢で2つの幻を見ました。

 一つ目の1984出来事イスラエルの兵士たちが、任務を受けて、国境の警備に向かうため、準備をしています。突然大きな地震が起きて、近くの家屋が倒れ多くの一般市民が生き埋めになりました。兵士たちは、上官から待機命令が出ていましたが、一般市民の救出のためボランティアとして参加し、軍の施設にある機械・器具・道具全てを駆使して救出作業懸命です。一人の兵士に、「軍の施設使う許可を取っているの?」と私が尋ねると、兵士は、「なぜ、必要なの? は、目の前の命を救うことの方が大切でしょ!」

 この兵士の決断多くの命われました。

  二つ目の1995年、日本のある町の出来事

1月16日。日本の自衛隊の隊員たちが、国際連合平和維持活動任務のための準備を終え仮眠を取り、次の早朝、最後の点検をしていた時でした。

 突然、大きな地震が、関西中心にしました。ある町は、家屋が破壊され、至る所から、火事が発生しています。テレビのニュースでその様子を見ていた、ある自衛隊は、自衛隊の持つ能力を使えば消火役立てるのに。」と思い、上司に相談します。上司は、即座に、「馬鹿者! 自衛隊は命令が無くかってに動けば法律で責任を問われることも知らないのか!」隊員たちに待機命を出しました。この自衛隊員が、被災者の救出に関わった頃には、ある町は、火事で、壊滅状態、焼け野原になっていました。私は、悔し涙で目が腫れた状態目覚めました

 もちろん、上記の2つの出来事は、であり、事実ではありません。しかし、この2つの幻を通してイスラエル人気質と日本人気質との大きな違いについて、私は考えさせられるのです。

 イスラエルも日本も法治国家です2つの幻に出て来る、イスラエル兵士日本の自衛隊有事の時には、相手国攻撃仕掛けることが出来る出来ないという差はあっても国民を守る任務に大きな違いが、あるわけではありません

 しかし、同じような災害起きた時に、イスラエル兵士たちは、上官の待機命令があっても、命令に従わないで国民の救出最優先します。一方日本の自衛隊は、上司にお伺いを立て命令に従って救出許可が下りるまで待機します。

 これは、「兵士と自衛隊員との性格の違いで起きたのではなく、国民気質の違いから、結果が違ってくるのだ」と考えられます。

 日本儒教道徳の国です。儒教道徳の国々では、「法の秩序」を守ることが、何よりも大切と小さい頃から教えられます。政治家の中には、国民に多少の犠牲強いても「法の秩序」を守ろうとします。

 一方、イスラエルは、一神教ユダヤ教徳」の国です。その教えは旧約聖書中、モーセ5書にありますが、ユダヤは、2000年以上もの間、ヨーロッパ社会から迫害受けて来た民族でもあります。その間、ユダヤ教の司祭、ラビたちが、モーセの教えからの解釈」をまとめた「タルムード」という、彼らの道徳規範、生活を支えて来た大切な教えイスラエル社会には存在します。この教えの最も大切な規範の一つは、「同胞の人権と命の尊重」です。

 ノーベル平和賞というものが、世界では有名ですが、門家の中では「ヤドバシェム」という、ノーベル賞よりも権威があり名誉とされる、ユダヤ人社会から全世界の中で正義を行った人々贈られる賞存在します。

 その受賞者には賞金とともに、メダルが贈られるのですが、そのメダルの裏には、次のように記されているそうです。「一人の人の命は、この地球よりも重たい。」

 ナチス・ドイツによって、ホロコースト迫害を受けたユダヤにとって、命の大切さは、どんな律法りも重たいもので、尊重されるべきものなのです。だから、イスラエルの兵士たちは、上官の命令無視してでも、目の前の苦しんでいる同胞命の救出向かうことができるのです。

 時には自分の命の危険さえして同胞を救出する英雄も出てくるのです。

 それに対して日本は、周りを海に囲まれ歴史上ユダヤ人ほど苦しみ経験したことのない民族です。平和に恵まれた日本人は、「同胞の命の心配」などよりも、「自分の立身出世」を考えることができたのです。そこで培われた考えが、「責任を問われることのないように、マニュアル通りに行動する」という世渡り上手な考え方なのです。上官責任を取らねばなりませんが部下は、マニュアル通り行動していれば、部下に責任の追及は来ないのが日本社会です。

 平和を享受できた過去においては、「マニュアル通りに暮らす」というのは、仕方のない選択肢であったかもしれません。また、「法の秩序が最優先される社会」も、仕方なかったかもしれません。しかし、今は、「コロナ禍」という有事の時代です。この未曾有の禍の中では、「法の秩序の尊重」よりも、「命の尊重」が行われるべきです。

 命が尊重されるためには法の尊重による法の改正待っていてはえる命も救えず、手遅れなるのではないでしょうか。

 コロナ禍で、重症患者の命救うこと言うまでもなく経済悪化自殺者を出すことを防ぐことも、我々に課せせれた最優先課題です。

 この課題を実行するためには、私達国民、特にリーダーとなる人が、早い決断とスピードある実行力示す必要があります。

 その為には、イスラエルの兵士たちように「法の秩序を守る」ことよりも、「人権と命の尊重が最優先となる考え方」が、今現在求められているのではないでしょうか。

 さて、イスラエル社会日本社会違いを述べる時に、欠かすことのできない事項に、情報入手使い方」の違いがあります。

  1.  イスラエルの情報網は、諜報機関モサド中心に、先進国の中でもトップクラスであるのに対して、日本は、先進国の中で、最低クラスに属します イスラエルと日本の情報力の差歴然としていて、このコロナ禍の中でも、ワクチン入手の仕方の差見て明らかです。

 この差は、日本イスラエル歴史的、地理的立場大きな違いからまれています。

 日本は、周りを海に囲まれ、侵略を受けたことも少ない国ですが、イスラエルは、アフリカ、ヨーロッパ、アジア3つの大陸の中心位置し、いつも周りを、イスラエル殺企む国々に囲まれてきました

 現在も、イラン主軸にして、イラク、シリア、レバノンヒズボラまでの三日月地帯から、自国の心臓部に、ナイフきつけられている状態にあります。

 この危険な状態打開するために、スラエル諜報機関は、フル回転していますが、その一部をコロナ対策活用するだけで、日本とは天地雲泥素晴らしさ発揮しています。両国確保しているワクチンの数字を見れば、一目瞭然です。

 日本にも、秘密裏に「イスラエルモサド」にあたる機関存在するのかもしれません。

 しかし、モサドのような優秀な諜報機関が、日本に存在ても日本には、それを十分に活用できる政治家も官僚もいないようです。

 情報有効に活用するためには、「インテリジェンスを分析力できる頭脳と能力」が必要です。

 現政府コロナ禍中の政策見ている限り政府のどの機関見てもイスラエルの政府機関のような分ができる部署は無いようです。

 特に一番酷い部署は、情報先取りして生かさなければならない財務省です。

 日本の財務省政治家、官僚は、この有事の中でも「法の秩序」ただ守ろうとするだけで、マニュアル通りにしか動けていないようです。

これは、責任逃れでしかありません

 「海に囲まれているだけで、外圧から日本国守れる」という時代は、すでに終わりました。

 ましてや、コロナ禍という「有事の状態」に在る日本では、イスラエルのような、「情報こそが国を守る最大の武器」となるにならなければ、生きる道はないと思われます。

そのためには、まず政府「インテリジェンス分析出来る頭脳力を持つ政治家や官僚の出現」が必要です。

 国民はそれを待ち望んでいます

 

 

パレスチナ・イスラエル紛争の真相 私はまた夢・幻を見ました。

 

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          青紫陽花の花言葉は「忍耐強い愛」


     この記事は、2021年6月12日に発表したブログです。

 

 私は、夢の中で、今度は、全国ネットの朝のニュース番組のキャスターになっていました。

 今回のパレスチナイスラエル紛争の真相について語っています。

 

 さて、朝も夜も、パレスチナイスラエル紛争について、マスコミは報道しておりますが、どの報道も、勉強不足なキャスターの偏見に満ちた報道でしかないことに、「やはり、日本のマスコミは、ある一面だけを取り上げ、国民の世論を煽る扇動者でしかない」ことを確信いたしました。

 日本の全ての報道は、「弱者、パレスチナをモンスターの強者イスラエルが攻撃」とイスラエルを非難しております。

 しかし、事実は違います。今回の件は、「確かに、紛争のきっかけを与えてしまったのは、ネタニヤフ・イスラエル首相ですが、紛争を先に起こしたのは、イランの支援サポートを受けた、テロ組織、ハマスです。

 テロ組織、ハマスの紛争を起こさねばならない動機は、「元アメリカ合衆国大統領トランプ氏によって、エルサレム問題というパンドラの箱が開けられて以来、

世界から孤立して行くパレスチナ難民に、再び世界の関心と同情を取り戻すために仕掛けられた紛争だ」と認識する必要があります。

 イスラエルの国土は、本当に狭いです。日本の四国程度の大きさしかありません。

 しかも、細長く、場所によっては、幅30キロ程度しかない場所もあります。一瞬の間に、領土を失ってしまう広さです。

 しかも、建国以来、イスラエルユダヤ人の生存権を認めない国々や、テロリストたちに囲まれ、

 イスラエルは、「まるで、自分の心臓にナイフを突きつけられた」状態なのです。

 それは、今も変わりはありません。

 誰でも、自分の心臓にナイフが突きつけられれば、それを取り払おうとするのが、血の通った人の反応です。

 イスラエル生存権を今でも認めないイランをリーダーとするイスラム諸国は、テロ組織、ハマスを支援して、四国程の狭いイスラエル領土に4000発以上のロケット弾で攻撃したのです。

 イスラエルは今回も、自分に向けられたナイフを取り払おうとしたのです。

 日本のマスコミは、その紛争で大きな損害を被ったパレスチナの人々に同情して、イスラエルを非難します。

 しかし、日本のマスコミは、もっと深い真相を報道して、国民に真実を知らせるべきです。

 一番非難されるべきは、テロ組織、ハマスの「人命の尊さ・人権よりも、政治・宗教における正義、聖戦を優先させる、悪魔のような仕業」です。

 日本の一部マスコミは、「ガザ地区防空壕はない」と報道しておりましたが、それは真実ではありません。

 ガザ地区の地下には、我々の考えられないような、地下通路が完成させられていて、

パレスチナ国民の命を優先する意志が、テロ組織、ハマスにあれば、あんなにたくさんの犠牲者が出ることはなかったのです。

 それどころが、ハマスは、「人命の尊さ」よりも、「イスラム聖戦の正義」を優先して、

マインドコントロールした一般市民の中から、母親や少年、少女を募り、軍事施設の要所に「人の盾」としてさえ使います。

 同胞の仲間の命を犠牲にして「世界の関心と同情」をひく為です。

 ハマスには、前科があります。かつて、ガザ地区イスラエルを分ける壁が存在しない時、人の行き来が自由であったので、イスラエル国内で、頻繁に自爆テロが行われる時期がありました。

 それまでのテロ活動は、カバンに時限爆弾が仕掛けられる程度のテロでしたが、テロリストたちはさらに恐ろしいテロ活動を生み出します。

自爆テロ」と言って、マインドコントロールした人を募って、体に爆弾を巻き付け、自爆させるのです。その方法は、さらに悪辣・非道を極めます。

 自爆する人にわざと「エイズ患者やC型肝炎患者」を使い、爆発で死者を出させるだけでなく、怪我をした被害者全員を抹殺しようというものでした。

 テロ組織、ハマスは、自爆テロを引き起こし、死亡した犯人を「殉教者」と称して、死亡した犯人に代わって、その家族を養い、保護します。

 キリスト教にも殉教者というものが存在します。

 しかし、テロリストたちが言う「殉教者」と、キリスト教の殉教者とは、天地雲泥の差が存在します。

 キリスト教では、自殺は、他人を殺害するのと同様に、犯罪と考えられますが、ある一つの場合のみ、「自分の命を捨てて良い場合」が存在します。

それは、自分の命を犠牲にしないと、他人の命が救えない場合、他に選択肢が無い場合のみ、自分の命を捨てて、他人の命を救うことができます。

キリスト教では、これを最も崇高な行為として、殉教と呼びます。

 従って、「自分の命を犠牲にして、他人の命まで奪う」テロリストたちの行為とは、悪魔と天使ほどの差がある行為なのです。

 日本の不勉強なニュースキャスターたちは、「イスラエルが土地を占領している」と非難し、「イスラエルが悪い」と簡単に国民世論を煽りますが、

 これは、公平な報道ではありません。

 イスラエル生存権を認めない周りの国々との間で、イスラエルは過去何回かの戦争をしなければなりませんでした。

 その戦争ごとに、占領地の面積は防衛のため大きくなりました。土地が奪われたのは、パレスチナの人々が、周りの国々の口車に乗って、イスラエル抹殺のための戦争に加担し、敗走したからです。

 つまり、全ての戦争は、パレスチナイスラム諸国から先に仕掛けられ、その為に土地を失ったという事実を日本国民に報道しなければ、公平な報道とは言えません。

 それでも、イスラエルは、1968年「六日戦争」で占領したシナイ半島を、「イスラエル生存権」を認め、国交を樹立したエジプトのサダト大統領には返還しています。

 この事をなぜ日本のマスコミは、報道しないのですか。占領地は、イスラエル生存権を認めずに、イスラエルを滅ぼすために、戦争をしかけ、敗戦した代償であることを、イスラエルを非難する前に、先ず日本国民に知らせるのが正しい報道です。

 さらに、「占領地問題」には、複雑な事情が増し加わっています。

 パレスチナの人々が占領地から敗走した後、荒れ果てた土地を、緑の豊かな土地に変えたのは、ユダヤ人たちなのです。

 アラブ人の人々の前に、ユダヤ人が所有していたという事実だけでなく、もはや、占領地は、「ユダヤ人たちの血と汗と努力の滲む土地」なっているのです。

 イスラエルの人々にとっては、「手塩にかけて育てた土地」なのです。

ここには、「生みの母親、育ての母親」の問題が存在するのです。

 もし、「育ての親」で、自分が立派に成長させた子供の前に、生みの母親が急に出て来て「その子は、私が生んだ子供です」と言われ、「はい、そうですか」と、直ぐに、手塩にかけて育てた自分の子供を渡してしまう親などいるでしょうか。

 パレスチナを含む、周りのイスラム諸国が、イスラエル生存権を認めないため、イスラエルが防衛の為に占領地を支配する時間が長く続き過ぎました。

 この事が、さらに、占領地返還を困難にしている原因です。

 パレスチナの人々は、周りのアラブ諸国と共に、イスラエルユダヤ人抹殺のため、戦いを挑み、どの戦争でも敗走して、土地を失って来たのです。

 パレスチナの人々を非難する気持ちは毛頭ありませんが、もし、パレスチナの人々が、周りの諸国の口車に乗らないで、イスラエルとの共存を認め、過去のどこかで平和的解決をしようと望んでいたなら、今の様な現状はなかったでしょうに。

 イスラエルの挨拶は、「シャローム」という言葉を用います。この言葉の意味は「平和」です。

 実は、イスラエル民族ほど平和を愛し、求め、平和に飢えている民族は居ないのです。 

  しかし、生存権を認めない国々が周りに居て、自分たちの心臓にナイフを突きつけられている限り、軍事的優位を崩すわけにはいかないのです。

 ところが、今、その軍事バランスが壊されようとしています。ハマスヒズボラ(レバノン側のテロリストたち)を支援しているイランが、「三日月地帯(イラン・イラク・シリア・レバノン)」を支配下に置き、核兵器を所持し、革命以来の外交目的である「イスラムエルサレム奪回」を目指して、イスラエルとの直接対決の聖戦に望もうとしています。

 世界は、イランに、この目論見を許してはいけません。

 このままでは、近い将来、双方の民族から夥しい血が流されてしまいます。また、この戦いは、もう一つの世界大戦に繋がることは、火を見るよりも明らかです。

 イラン革命で、イランに、イスラム専制君主国が誕生して以来、イランの指導者たちは、「パレスチナに居るイスラエル民族を地中海に叩き出し、エルサレムを奪回する」と公言して来ています。

 これは、イスラエルにとっては、「宣戦布告」でしかありません。

「子供たちが教育を受けられ、家族と共に笑いのある団欒を持てることが平和」とするならば、今、世界は、イランの野望を捨てさせる必要があります。イランにイスラエル生存権を認めさせるのが、中東の安定にとって絶対必要条件となります。

 しかし、それでも、パレスチナイスラエル問題、特に、エルサレム問題は解決しません。

 パレスチナイスラエルとの間にある「憎しみの連鎖」は、日本人には、理解しきれないほどの恐ろしい深さが存在するです。

時間の経過だけが解決できる要素ですが、今は、時間さえ、さらに、お互いの憎しみを増長させるだけのようです。

この問題は、歴史書である「聖書」に書かれている様に、「もはや、人々は戦いのことは学ばない。人々は、武器を犂や桑に変えて、もはや戦うことは学ばない」という「千年時代(ミレーニアム時代)が到来し、イスラエルパレスチナの両民族が憎しみを捨て、エルサレムを首都とし、両民族が、お互いの文化を尊重して、一つの国を創り出すまで、解決しない問題なのかもしれません。

 最後に、不勉強な日本のニュースキャスターに言いたいことは、パレスチナイスラエル問題は、安っぽい判官贔屓で、「パレスチナ側を弁護し、、イスラエルを非難する問題」ではなく、

どちらの民族も絶望の淵に居て、政治では、もはや解決しない問題」なのです。

 私達日本人が、どちらかの民族を非難するような、簡単な問題ではないのです。

 非難するとするならば、「人の命の尊さよりも、宗教・政治的正義を優先させ、マインドコントロールして人の命を弄ぶテロリストたち。そして、さらに、その原因を創った「エルサレム問題」というパンドラの箱を開けてしまった、元アメリカ合衆国大統領、トランプ氏」だけです。

 私達、日本人は、パレスチナイスラエルの両民族の為、平和・平安を祈り、見守るしか手立てがない問題なのです。

 

私の頬から一筋の涙が流れました。その冷たさで、私は、夢・幻から目覚めました。