
加 茂 川 の 水 鳥 京 都
私は、夢・幻を見ました。私は学生に戻っていて、大学で有名な教授の講義を受けているのです。講義内容は、「地球環境学」というタイトルです。300人程度の受講生の講義ですが、講義の内容があまりにも、ショッキングなので、誰一人雑談する者もなく、真剣に受講しております。
「本日は、南海トラフ地震についての話です。地震の歴史から紐解きを試みた結果、まず、名古屋沖、続いて、東海沖、最後に、南海沖という3連動南海トラフ地震が、向こう20年の間に起こる確率は、100パーセントです。つまり、2030年から2040年までに、確実に南海トラフ大地震は起きると予測しなければならないということです。」
教授はさらに講義を続けます。「南海トラフ地震の被害額は、建物の被害額だけでも、220兆円、この額は、日本の税収の3年分にあたります。すべての被害額を計算するならば、1400兆円以上の被害となります。
地震のための防災が必要ですが、現在、政府は、「コロナ禍・経済問題、特に円安・日本防衛力の強化・ウクライナ問題等」、至急対処しなければならない課題を抱えているのは事実です。
地方自治体も、地球温暖化のために起きる災害、特に洪水対策に追われ、地震対策は後回し、等閑にされているのが現状です。完全な防災を望むのであれば、政府・地方自治体の公助力が必要ですが、それを望めない現在の情況では、私達国民は、自助力により、自分たちの被害を、出来る限り小さくする努力をするべきなのです。すなわち、「出来る限りの減災」を日頃から心掛けなければならないのです。」
私は、この講義で語られた事を真剣に耳を傾け、厳粛に受け止めました。
幻は続いて、場面は「防災ショップの中」に変わりました。
私は、もはや学生ではなく、現在の自分、即ち、69歳の3人の子供の父親であり、3人の孫を持つ老人に戻っておりました。
防災ショップ内で、私は、講義で語られた、「自助力による、出来る限りの減災を実行できる品物」を購入しております。
まず、私が購入したものは、「2週間分の水と非常食」です。
マグニチュード「9」以上の地震が起きた場合、自衛隊等の救助隊が救援に来るには、時間が掛かり、長い間到着しない可能性があるからです。
次に購入したのは、2週間程、使用可能な「ポータブル発電機」、「簡易トイレ」、手回し発電で使えるラジオ・懐中電灯、物の下敷きになっている人を救出するためのシャベルや鋸の入った「工具セット」、防寒のための「折り畳み式毛布」、停電時のための「ランタン」、その他、万能ナイフ、マスクを含む救急用品、筆記用具等は、水にも、火にも強いものを選び、持ち出せる物だけ非常持ち出し用リュックサックに入れました。
家に帰っても、「神から、災害の予言を受けた旧約聖書のノア」のように、災害のための防災準備に余念がありません。
まず、自室の上の方には、重たい物を置かない工夫をいたしました。また、家具が倒れないように、「接続器具」を使って、壁・天井に家具を接続いたしました。
親しい大工さんに頼んで、自室のガラス製サッシに、ガラスが内部で散乱しないよう、透明フィルムを張ってもらいました。
本棚から本が散乱しないように、防災グッズを使って、工夫もいたしました。
幻の場面は、私の自室に変わりました。時間は、明け方近くのようです。
私はベッドに寝ています。とその時突然、大きな縦揺れに続いて、数十秒間、激しく横揺れが続きました。
その間、まず、私は自分の頭を守ろうとして、机等の下に入ろうとしましたが、あいにく、適切な家具はありません。
そこで、私は、手元にあった、大きめの分厚い雑誌を、手で自分の頭に添えて、頭を保護いたしました。
そのおかげで、手に軽傷は負ったものの、頭と顔は無事でした。
まず、非常用バックから、ラジオを取り出し、情報を入手いたします。
ついに、「南海トラフ大地震」が現実となったようです。すでに、海岸近くの人々には、「津波に備えて、高台に避難をするように」と警報が出ています。
2時間後、何度も押し寄せる余震に怯えながらも、私は、空が明るくなったのを機に、非常用バッグから丈夫そうな「底圧スリッパ」を出して履き、バッグを背負い、外に出てみることにしました。
外に出てみると、辺りは、「瓦礫の山」と化していましたが、不思議と火災はほとんど起きていません。
神戸大震災からの経験が生かされたのでしょう。地震発生と同時に、多くの火の元栓は絞められたのではないでしょうか。
真冬で、外は冷たい風が吹く、本当に寒い朝でした。私はたまらず、非常用バッグの中から、折り畳み式毛布と火を付ける為のライター・チャッカーを出しました。
ラジオからの情報で、この付近のガス栓は、大元から遮断されていることを確認し、さらに、この付近にガス漏れは無いか、臭いも確認してから、空き地の真ん中に、瓦礫の中の破損した木材を利用して、焚火を炊くことにしました。
毛布を肩から被りながら、焚火から暖を取り、しばし、私は茫然自失の状態で居ました。
ふと、我にかえると、まわりに、たくさんの人々も暖を求めて集まって来ていました。
人々の顔には、涙はありませんが、私と同じく茫然自失の状態で、炎をただ見つめております。そこには、悲しみの深さが窺がえました。
その人々の中に、パジャマ姿の幼い男の子が、寒さに震えているのを見つけました。私は、その男の子に近づき、そっと、私の毛布を男の子にかけてあげました。
その幼い男の子は、私の孫と同じくらいの年で、その幼い男の子の姿は、私に「孫は大丈夫だろうか」という考えに、私を導いてくれました。
娘夫婦と孫は、私の家の近くに住んでいましたので、娘とは、「もし、大地震が起きたなら、避難場所に指定されている小学校で落ち合おう」と、かねてから、約束していたのを思い出しました。
すぐに急いで、非常用のリュックだけを背負い、約束の小学校に向かいます。
果たして、孫は、娘夫婦と一緒に小学校にいました。私達は、全てを失いましたが、孫と娘夫婦が無事でいてくれたことを神様に感謝しました。
その時、一つの知らせが、小学校に届きました。「まだ、崩壊した家屋の下に生き埋めになっている人たちがいるけれど、救助隊の到着は間に合いそうもないので、救助を手伝ってくれるボランティアを募る」とのことでした。
私は、即座にボランティアに参加し、学校にあったシャベルと鋸を持って、生存者がいるかもしれない現場に、走って向かいました。
2時間ほど、救出作業に没頭している時でした。崩壊した家屋の下から微かな、弱々しい赤ちゃんの泣き声が聞こえるではありませんか。
「おい、赤ちゃんだ。赤ちゃんが生きているぞ」とボランティアの一人が叫んでいます。
私の目はもう涙でいっぱいで、前が何も見えませんでしたが、必死でシャベルを使い掘り進みます。
障害となっている大きな柱を鋸で砕いて行きます。
遂に、赤ちゃんが救出されました。赤ちゃんは、偶然にも、瓦礫と瓦礫の隙間に居て、奇跡的に生存していたのです。
私達ボランティアは、抱き合って、赤ちゃんの無事救出を喜び合いました。
地震発生後、初めての夜を迎えています。救援物資はまだ、届いていないので、自宅に戻り、備えていた水・食料を持参し、他の人たちと分かち合います。断水の中、簡易トイレを学校の然るべき位置に備え、共同で使うことにしました。
また、電気が途絶えているので、ポータブル発電機を利用し、被災者全員の携帯電話充電に使用しました。
ランタンを使用することもできました。そのおかげで、書類を読むことや、作成することができました。
筆記用具も役にたちましたが、特に役立ったのが、先に蓄電装置が装着された油性のボールペンです。雨で濡れても、滲まず読むことができ、夜に電灯が無くても書けるからです。
悪夢のような一日が終わろうとしています。
多くの持ち物を失いましたが、不思議と私の心は、平静と安らぎ、そして、微かな光も差し込んでいるような感覚です。
「出来る限りの減災」のお陰で、家族全員が無事だったこともありますが、何よりも、私の心の中に平和があるのは、「災害を受けた者たち同士が、分かち合い、助け合い、労り合うことができたこと」、それが、大きな要因のようです。
神戸大震災、東日本大震災の時に、人々が示してくれたのと、同じように、「世界が驚異と感じる程の、日本人の素晴らしさ」を、私達も再び、示すことができたからです。
大災害が起きた世界の都市では、治安が悪くなり、人々が理性を失い、強盗・強姦など、野獣と化すのが常識です。
しかし、日本では、秩序が保たれ、人々は、お互い助け合っているのです。
西洋社会の人々は、この事に感嘆しているのです。
全世界の人々は、驚嘆と称賛を日本人に与えているのです。
私は、自分が日本人であることを誇りに思い、日本人の素晴らしさに対する誇りと感動で、涙が溢れて来ます。頬に流れた涙の冷たさで、私は夢・幻から目覚めました。
さて、現在、コロナ禍で、政府も自治体もその対策で懸命です。
また、地球温暖化による大雨などの天変地異にも、備えなければなりません。しかし、巨大地震も、将来必ず起こる大災難です。
政府・地方自治体が、コロナ禍の中、経済対策優先で予算等進めるのは、仕方がないにしても、地球温暖化による天変地異と巨大地震の災害は、優先順位をつけずに、対策を進めねばなりません。
現在、東日本大震災の大きな余震も起き、地震の恐ろしさを、再認識した私達国民は、「自助力による減災対策」を進める必要があります。
それと共に、コロナ禍中にあっても、地球温暖化による災害と同じ様に、「公助力による、出来る限りの防災対策」を求める世論を創り出す努力をしなければなりません。
即ち、政府と太平洋側の各自治体が、「緊急巨大地震対策本部」を速やかに機能させ、防災を進めるよう、私達国民は、声たかだかに訴えていかねばなりません。
これが本日のメッセージです。