中村哲氏暗殺、追悼2周年に思うこと。

 

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            冬 景 色     岡 山

 2019年12月4日、正午前後だったと思います。

 当時、英語教師であった私は、例年、3学期の初めに、英語の教材として、中村哲氏の伝記」を生徒たちに学ばせていました。教材研究の一貫として、直前に、「クリスマスのために、アフガニスタンにサプライズ訪問をしていたトランプ大統領の記事」をパソコンで検索していたのです。

 その時偶然、中村哲「テロによる銃撃襲撃事件で負傷の知らせ」発見しました。当初、病院に運ばれた中村哲は、「重体ではあるが、命は別状なし」との報道でした。しかし、夕方になって、中村哲氏死亡」悲報が飛び込んできました。

 私は、生徒たちに、この事実をどのように伝えるべきかを、苦闘、思案したのを、今も忘れることはできません。

中村哲は、「20世紀が生んだ偉大な魂」であり、「世界で尊敬される数少ない日本人の一人」です。

 しかも、「2001年9月11日、歴史を変える悲劇が計画された時に、アフガニスタンに滞在し、当時のタリバン政府と交渉していた数少ない日本人目撃者」なのです。

 歴史が大きく変わっていくのを、現地で目撃した証人でもあります。

 哲氏医師として、イスラム社会で貢献することになりますが、彼の素晴らしい所は、西洋の白人至上主義の人たちとは違いクリスチャンでありながら、キリスト教文化押し付けることなくイスラム教文化尊重できたところにあります。互いの違いから出発し、愛・友情・平和等の普遍的価値観について討論できる強い城、即ち、アイデンティティを持ち、イスラム社会の人々から尊敬の念を持たれたところです。

 つまり、彼は「国際人」としての素養身につけていたのです。そして、強い意志により、清潔な水不足のために、死に逝く多くのアフガニスタンの人々、特に、子供たちの為、まず、井戸を掘り、多くの命を助けました。そして、さらに、広大な用水路完成させ、一時は、数十万の人々の生活を支えることに成功したのです。

 しかし、タリバンが政権を奪取して以来、中村哲功績は抹殺され、それと同時に、アフガニタンの多くの国民の上に、飢饉や疫病の災難が降りかかり罪も無い幼い子供たちめ、戦争時よりも、さらに多い死者が出ようとしているのが現在です。

 中村哲氏を暗殺した犯人は、まだ判明していません

 本当に「偉大な魂」と呼ばれる人は、全員から愛されることはありませんその人が邪魔で、敵になる人たちからは、抹殺したいと思われる人が、本当に「偉大な魂」なのです。その意味で、中村哲氏は、「20世紀が生んだ最後の偉大な魂の一人」に間違いありません。

 中村哲氏を暗殺した集団、もしくは、国はまだ判明していません日本の警察2年間捜査して、まだ犯人集団を特定できないでいます。

 それは、その集団が、用意周到に計画を練り、暗殺実行出来る「高度な集団」であったからです。

 犯人は、アフガニスタンの復興を望まない集団」存在します。

 アフガニスタンの復興望まない理由は、少なくとも、2つの可能性があります。

 一つは、アフガニスタンで作られる「麻薬・アヘン」関係しているかもしれません。その当時、アメリカと闘争するために、アヘン栽培を奨励していたタリバン」も容疑団体の一つです。タリバンは、現在中村哲氏の功績をも消し去ろうとしているのですから。

 もう一つの可能性は、アフガニスタンが豊かになれば、自分たちの武器、あるいは穀物等が輸出できなくなること懸念した集団、もしくは、大国の可能性があります。

 しかし、現在どんな圧力が、存在してもいつの日「歴史」「犯人は誰だったのか」世界中に明確にしてくれることを私は確信しています。

 10万人以上の命を救い、数十万の人々の生活を支えた中村哲氏ですが、ノーベル平和賞」を受賞することはありませんでした。もし、彼が、キリスト教社会で同じことをしていたら、彼は間違いなく「ノーベル平和賞受賞していたでしょうに。

 イスラム社会、しかも、「9・11のテロを起こしたアフガニスタンでの出来事」ということで、西洋からは評価されなかったのでしょう。

 彼を評価しなかった理由は、「白人至上主義という傲りが、無意識のうちに、西洋の人々の心の中に存在している証」と私は考察します

「命」の尊さにキリスト教徒にもイスラム教徒にも変わりはありません

 もし、西洋の人々が、命の重たさに変わりはなく、「全ての人の命は、この地球より重たい」信念ありさえしていたなら中村哲氏は「ノーベル平和賞」を受賞していたでしょう。

 中村哲氏が暗殺されたことタリバン政権の出現で、アフガニスタンの復興」は、遠退アフガニスタンの人々には、大艱難辛苦が来襲しようとしています

 心あるアフガニスタン人々が難民となり、辛苦を経験しているのが現状です。

 しかし、そのような現状であっても、いつの日か、心あアフガニスタンの人々が祖国に戻り中村哲氏の意志を継ぐことを、私は信じています

 1964年、東京オリンピック当時「緑に包まれた、豊かな農業国」として、復活することを私は確信しています。

 なぜなら、中村哲は、アフガニスタンの人々奥底に、「いつまでも消えない灯火、偉大な仕業」を、もうすでに成し遂げてしまっているからです。

 今は亡き、中村哲心あるアフガニスタンの人々を偲んで、再度一筆残します。

 

同志社創立記念日に際して

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           「アンネのバラ」   京 都

 アンネの父、オットー・フランク氏から、「バラが根付くように、平和を愛する心      が日本の子供たちの心に、根付きますように」と送られた。

 同志社創立記念日おめでとうございます。

 さて、私達の校祖新島襄は、明治の初期に於いて、「日本で英語に一番精通した人物」でした。幕末から明治時代の当初、他にも英語の話せる人はたくさんいましたが、その人たちは「漂流」などでアメリカの地にたどり着き英語を学びました。しかし、新島譲はそのようなレベルではありません国禁してまでもアメリに渡り、アメリカ合衆国大学院まで卒業して帰国した人物なのです。従って、英語力のレベル他の日本人と比較して「桁外れの実力の持ち主」でした。

当然日本の中央政府は、新島襄という人材欲しがりました。現に、中央政府から勝海舟京都に来て、「政府で働けば立伸出世は思いのまま」中央政府で働くことを勧めましたが、新島襄「強く固辞」し続けました。その姿を見た勝海舟は、新島襄を評して「なんと私利私欲の無い人物か」さらに彼のことを好きになったと言われています。

 ではなぜ、新島襄は東京へ行けば「立身出世は思いのまま」なのにそれを固辞したのでしょうか。

 結論から言いますと、は、立身出世官僚の道よりも教育者としてき、しかも、政府求める人材とは、異なる人材輩出する」という大志を心の内に秘めていたからです。

 同志社大学が設立された同じころ、「慶応義塾大学」早稲田大学東京設立されました。京都大学「学問の大学」に対して、東京大学慶応義塾大学・早稲田大学は、「西洋に追いつけ、追い越せ」という政府の目標に基づいて、主に設立された大学です。

 しかし、政府目標にした西洋、即ち、イギリス・フランスなどは、「世界各地で植民地つくり弱い人々を虐げ挙句の果てには、アヘンを使って暴利を貪る国々」でした。

 新島襄は、イギリス・フランスのような国に、日本ることを望まなかったのです。

 は、「良きアメリカ時代」自分の利益よりも、貧しい人々のために貢献する」と言う、現在グローバルの時代でも通用する人材育てたい」と願ったのです。

 その為には「政府からの干渉・圧力の届かない地」大学を創設する必要がありました。なぜなら、彼の「育てたい人物像」とは、キリスト教に基づく良心に充満した人間」だったからです。

 このことを理解して頂く為に、ある一人の人物を紹介したいと思います。その人の名はキュリー夫人です。彼女はフランス人で、夫ピエールとともに、ウラン鉱からラジウムを取り出すことに成功し、その功績で、ノーベル物理学賞受賞し、フランスで最初の女性大学教授になった人物です。

 さて、彼女の発見は、病気の治療に役立つので、アメリをはじめ、多くの国々、企業欲しがる技術でした。もし、特許を取るなら「巨万の富」キュリー夫妻に転がり込むはずでした。

 ところが、夫妻は特許を取らず、一生貧しいままで居ることを選択しました。

 ではなぜ、特許をとらなかったのでしょうかキュリー夫人は、のように述べています

科学者の使命は、世界の人々の幸福平和に貢献することです。もし、私達が特許取って貧しい国々の人々が、自分たちの発見した治療法を使えば、命が助かるのに特許料を払えない為死んで行くとしたら、それは、科学者として、許されないことです。科学者魂に反することなのです。」と断言しました。 

 もし、私がキュリー夫人の立場にいたなら、「さらに世界のために貢献するためには、良い研究室が必要だ」とか理由をつけ、特許を取得し巨万の富を得たと思います。多くの日本の科学者たちが、特許を取る為に、即ち、金持ちになる為に、研究を続けている現状からするならば、彼女の行為は、「崇高な行為」と言えます。

 ではなぜ、キュリー夫人は、このような「崇高な行為」選択できたのでしょうか。 それは、キュリー夫人「敬虔なクリスチャン」だからです。キリスト教には、「自分を捨てて、人のために尽くす」という美徳があり、人を崇高にしてしまう「不思議な力」あるようです。

この「不思議な力」教育者として、日本で初めて着目したのが新島襄でした。彼は政府に干渉されにくい「京都」に於いて「グローバルな視野を持ち、自分の利益よりも、弱い立場の人々のため貢献できる人物育てる事目的にし同志社大学を創設したのです。

 確かに、同志社は、東京に存在しない為に、慶応義塾大学や早稲田大学のように、政府に人材を送り、歴史上に名を馳せる人物は数多くは輩出していません。また、両大学べて、新島襄の大学、同志社標準偏差知名度でもはるかに劣ります。

 しかし、東京設立しなかったからこそ新島襄志を持つやから(社)同志社は、キリスト教道徳によって、企業の良心となる人物を、日本の企業に、数多く輩出できたのです。

 慶応義塾大学の福沢諭吉早稲田大学大隈重信は、「日本の歴史上、名を冠した人物」であったかもしれません。しかし、教育者として、新島襄は、この両氏よりも、「レベルの違う、次元が違う、現在のグローバル時代でも通用する教育者」であったのです。

 ですから、新島先生が創設した同志社の学生・生徒たちは、学園を更に大切にし慶応・早稲田の学生よりも、学園に対する「誇り」を、もっと持つべきではないでしょうか。

 

ユーモアは生まれつきの才能ではありません!!

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      人生の黄昏を思いながら見る加茂川の夕暮れ  京 都

 

 ドイツの哲学者ディーケン(Deeken)は、「ユーモアとは、決して生まれつきの才能でもないし、裕福な家庭に生まれた恩恵でもないし、また、楽天家の持つ反応でもない」と言っています。

この意味するところは、ユーモアとは、人生を歩んで行くごとに獲得していく後天的才能・技術であり、どん底の人生を歩んでいる時にこそ使われる、人を救う「魔法」であると言う事です。

 ある生徒が私に言いました。「でも、社会的に地位の高い人・社長さん等は、ユーモアのある人が多いよ。これは裕福な家庭に生まれた恩恵の証ではないの?」

私は即座に答えます「それはですよ。社長さん等にユーモアのある人が多いのは社長になるまでの人生の過程で、苦しみ悲しみ試練等その人を鍛えた結果です。その人が苦しみ・悲しみ・試練を通して、人生を乗り越えて行き、その結果が、ユーモアという技術会得することに繋がったのです。その為、社会的地位いところまで上り詰めた人物には、ユーモアという技術備わっている可能性が高いのです。」といつも答えます。

 若い人たちの中には、「自分はユーモアがなくて、つまらない人間だ。」考えて悩んでしまう人もいます。これは誤解です。

 若い人たちは、まだ人生の経験が浅いのですから、ユーモアが無くて当たり前なのです。に、才能豊かな若者は幼年期に「悩み、苦しむ経験」が少ないので、ユーモアが無いことに悩むことが多いのですが、心配要りません。これから、人生を歩んでいく過程で会得していくものですから、無くて当たり前なのです。

  私は思うのですが、「笑い」には大きく分けて2つ「笑い」があると思います。

 一つ目は、「人を貶めて笑いを取る」というものです。よくテレビに出てくる『ピン芸人笑いを取るのに使う方法です。これは、子供たちが真似をして、「いじめ」にも繋がります。

 もう一つは、愛する人や友人が、悲しみに沈んでいる時、「なんとか、一瞬でも、その悲しさを忘れさせてあげたいと思って、相手を笑わせる技術。」、即ち、ユーモアです。

 「悲しんでいる人を何とかしてあげたい」と、愛情を持てる人でさえあれば、ユーモアはその人の心の中に自然と花咲き、内面で成長していくものです

 ユーモア「他人の苦しみを和らげる妙薬」であるばかりでなく、「自分の悲しみ・苦しみから立ち直らせてくれる防御術」でもあります。

 たとえ話ですが、『Aくんという医大がいるとします。Aくんは医学部の6回生で、医者になるための国家試験を控えた時に失恋をします。さらに、受験という緊張感が影響したのか、「全身に湿疹」がでてしまいます。「国家試験・失恋・湿疹」の三重苦に見舞われるのです。ところが、Aくんは、「ユーモア」を使ってこの危機的状況見事に乗り越えます

彼は、三重苦を違う視点から見たのです「考えてみれば、人生で最も大切な時に、三重苦に見舞われる人間なんて、世界にはそうざらには居ないかも。俺って希少価値のある人間かも。」自分自身を笑い飛ばすのです。この「自分自身を笑い飛ばす」ことがユーモアであり、Aくんは、「自分自身を笑い飛ばす」ことによって、まず湿疹が癒されます。自分を笑い飛ばしながら、「俺を振った彼女に、俺を振ったことを後悔させてやる」と持ち前のハングリー精神で猛勉強をします。結果、「医師になる国家試験」に見事合格してしまいます。ユーモアがA君を救ったのです。』

「自分自身の欠点や失敗を笑い飛ばせる」というのは、人生を歩んで行く上で、最も大切な技術のひとつと、私は考えています。

「自分自身の欠点や失敗を笑い飛ばせる」ユーモアという技術を身につけてください

この技術は、「人を愛し、慈しんで人生を歩んでいれば、必ず、あなたの心の中に花咲きます。」

完璧な人間など居ません「自分が完璧な人間で在ろう」としてはいけませんそのような気持ちで暮らす人は、いつか、必ず破綻して「鬱」になってしまいます。失敗をしても、自分を責めてはいけません失敗するから、その経験が将来に役立つのです。自分の不完全さを見つめ自分を笑い飛ばすのです。

これが精神的に豊かに暮らす「秘訣」です。
 どうか、ユーモアを武器にして、「踏みつけられても踏みにじられても、立ち上がる雑草のような強さ」身につけてください。

 

 

衆議院選挙に際し、政治家に相応しい資質を考察する。

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   マ サ ダ 遺 跡 か ら の 死 海  イスラエル 1977年

 

 衆議院選挙が近づいて来ました。どのような政治家出現するのでしょうか。国民にとって、どのような政治家まれるのでしょうか。本日は、日本国民にとって望まれる、「政治家資質」について考察したいと思います。

 現在、日本の置かれている状況は、「コロナ禍中である」事に変わりはありません。感染状況は減少傾向にあるとは言え、毎年のインフルエンザの流行のように、コロナウィルスの流行は、再び日本全国に到来します

 今は、「有事」の時であり、「人命」が最優先されなければなりません。

 昨年、阿部元首相の「桜を見る会での、「前夜祭費用の問題」を、コロナ禍中にも拘らず野党の議員たちは、ここぞとばかりに、内閣の責任をも追及する事がありました。

 大阪府知事はこの事に関して、コメントをマスコミから求められた時に、「今は、桜よりコロナでしょう。」と答えたそうです。

 その通りです。政治家の役割公務員一緒で、まずは、「国民の公僕」であるべきです。野党阿部元首相を追求する裏側にある狙いは、与党責任追及して、自分たちの政権を取れる日を近づけよう」というものでしかありません。

 天下泰平の世の中であれば、「阿部氏追及」をするべきですが、「有事」では、国民の命政策討論が、国会討論大部分占めるべきでした。

 野党議員だけでなく、与党議員も、「議員たちは、自分に責任が来ないように行動しているだけ」しか、私の目には映りませんでした。多くの国民も、私と同じ考えを持っています。

 現在も、コロナ禍によって、きちんと納税していた多くの国民苦しんでいるのです。 この状況は戦時中と変わらないのですから、国会議員も、知事と同じように最前線に居るリーダーでなければなりません。

 コロナ禍という戦時中では、与野党を問わず、政府のすることに、「足を引っ張る」のではなく、反対するなら、「建設的な代替え案」を示して、国民の前に出てくるべきです。

  しかし、後の責任取らされるのを恐れてか、与党も、野党も、「国民を安心させよう」とする姿勢が、国民に伝わって来ないのが現状です。

 コロナ禍はウィルスとの戦争です。あらゆる議員は、国民に選ばれたのですから、この戦争の最前線に居るべきです。

 非常事態なのですから、議員は、自分たちの権利返上しなければならない事もあるはずです。

 それなのに、議員の権利少しも返上されることがないのはなぜなのでしょうか。

 弱い立場の国民が苦しんでいる時こそ「働く義務」があるのではないのですか。

 戦時中に、議員としての研修など必要ありませんコロナ禍中では、不必要議員権利返上すべきです。

 コロナ禍のようなまさかの時の為に、国会議員であろうと、地方議員であろうと、国民に投票してもらったはずです。

 国民ご恩返しする気持ち持たないで、いつ、議員としての義務を遂行するのでしょうか。

 今こそ、「議員価値」が問われる時なのです。

 財務省の官僚・議員に成る方々は、「税金をいただいている国民に、今こそ恩返しするべき時」と、特に肝に銘じるべきです。

 財務省影響を与えている学者たちの中には、「コロナ禍は、良い機会であって、もう少し我慢をして、新しい社会、強い日本を作り出す機会にするべきだ」という意見を述べる学者たちも居ますが、これは、大きな誤りです。

 今苦しんでいる国民を蔑ろにして、強い日本社会を望むなど、苦労知らずの御坊ちゃまの考えでしかありません。

 今、お金を使わないで、いつ使うと言うのですか

 将来の心配は、現在のコロナ禍が治まってから考えれば良い事です。

 今、考える事は一つです。

 コロナ禍という戦時中にあって、コロナ禍が無ければ、誠実に納税できた人々の、「失業・一家心中等」起こらないように、全力を尽くす事が、財務省の責務です。

 「この責務が優先順位1位だ」心の奥底から銘じる事出来る政治家であってください。

 コロナ禍は、未曾有の災難なのですから、神のみぞ知る部分があり、これから何が起きるか分かりません

 しかし、今後は、経済をどのように動かすかという事最重点を置かねばなりません。

 なぜなら、経済破綻者が増加し、自殺者が出る事を防ぐのも、「命を守る最優先政策」だからです。

 今からこそ国債を利用し、救済政策を実行しなければなりません。

経済を復興させるためには、コロナ感染の第6波想定し、日本医師会強く指導するを持ってください。

 なぜなら、「まさかの時」に備えて、病床の確保、医療従事者の確保、事務方も含んだ医療従事者に対する思いやり予算、危険手当、ボーナスなど、あらゆる手段を使って、コロナ対策を講じておく必要が絶対あるからです

 さもないと、どんな経済政策を打ち出しても、コロナ感染者による重傷者、死亡者が急増すれば、失敗に終わります

 コロナ禍中に於いて、地方議員を目指す方々は、決して、日和見主義になり、責任逃れをしようとする姿勢見せたりしないでください

 最前線に居るのですから、失敗を恐れずに、県民・府民・都民の命を守る政策遂行してください。

 たとえ、結果失敗であっても、国民の命を守ろうとした政策でさえあればその失敗は、次の成功する政策に必ず役立ちます。

 まずは、県政・府政・都政・市政に携わることになる議員は、「郷土愛」と「命の重たさを第一に考える心」自分の中心に据えてください。

 決して、支持者の顔色を見て行動し、有力者を忖度する必要はありません

 これが最も大切な「政治家としての資質」です。

 

日本の政治リーダーを目指す皆様へ、

 お願いですから、責任逃れのために、マニュアル通りに動くのは、やめてください

 コロナ禍未曾有の出来事です。まず、政治家が最善戦に出陣して、ご自分の身を律してください。必要ならば、国民・住民を安心させるために、自ら犠牲を払ってください。

 それが、大切な税金で研修を積んできたあなた方の役目であり、投票で選ばれた皆さんの使命だからです。国民は期待しております。

 

再び、幻を見ました。首相の対中国戦略

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         加 茂 川 の 水 鳥    京  都

 

 日本の総理大臣新しくなりましたが、私は、再び幻を見ました。驚く事に、私の顔をした日本総理大臣が、中国戦略について、首相官邸記者会見しているではありませんか。

 さて、中国は、将来アメリカ合衆国をも凌ぐ勢い拡張を続けている隣国です。

 日本は、アメリカ合衆国安全保障条約を結びアメリカ合衆国安全の傘に入り続けることには変わりはありませんが、中国という隣国とは、それなりの友好を保つことが、子孫に戦争の火種を残さない為のポイントです。

 中国とは、グローバル的な考え方基本に、友好結んでいける道模索しなければなりません。

 グローバル的な考え方とは、地球は、つの宇宙船あって、日本人も、中国人も言語・文化の違いがあっても、全民族は、地球という宇宙船の同じ乗組員である。」という考えです。

 とするならば、まさに地球環境破壊され、宇宙船、地球号が、沈没するかもしれない時に、乗組員同士が、「ここは、私の土地だ。貴方の土地ではない」などと、土地の所有権争いをしていることは、愚かなことと言わざるを得ません。

土地の争いによる国と国との憎しみは、ず、バランス崩れた時に、戦争になる」と、歴史が私達に教えているからです。

 このような、中国との危険な現在関係を、日本子供たちの時代まで残すことは、「日本の子供たちが恐ろしい戦争曝される可能性残す事だと私は考えます。

私は、総理大臣として、「そのような、危険可能性を残したままで、日本の子供たちに引き継ぐことは、絶対にあってはならない事と考えております。

 吉田茂筆頭に、自由民主党の大先輩たちが、日本国民には、もはや、戦争の悲惨さ経験させてはならない国民の大半の反対押し切って、米国との日米安全保障条約を結び日本国憲法平和思想実現させたように、私も、大きな提案をここにいたします。

尖閣諸島日本の固有の領土である」ということには変わりはありませんが、台湾と中国と、今後100年間は、「所有権については、保留争わないこととしま。」

 即ち、中華民国中華人民共和国それぞれと不可侵条約を結び、尖閣諸島は、「インターナショナル」緩衝地域として扱い、尖閣諸島利権については、日本、台湾、中国三者で、公平に開発利用していくという合意をいたします。

 これは、「地球号という宇宙船が環境破壊のため、今まさに沈没しようとしている時に、土地合争いなどしている余裕はない」というグローバル的思想に基づいての決断であります。

 近い将来には韓国との竹島問題」ロシアとの「北方4島問題」グローバルの考え方で、首相として、政治生命をかけて、「100年間の所有権相互放棄、インターナショナル地域として、相互開発、利権の公平分配・実利獲得」実現いたします。

 この実現により、子孫に隣国との戦争の火種を消し去戦争の憂い取り去ることを、お約束いたします。
 しかし、不可侵条約を結んでも隣国とののバランス崩れれば隣国が条約を守るという確証ありません

 日本も、災害対策同様国防も予算からはずし大金をかけて、対策立てていかねばなりません

 国防が目指すところは、ハリネズミのようになり、他国が侵略をためらう国なることです。

 このために、コロナ禍自然災害対策せて、国債を有効利用して向こう30年間かけて、400兆円を算出し自然災害からも、他国からの侵略からも、国民守る為に、「まさかの時」えてまいります。

「国民の命を戦争から守り、国民が血を流すことをできるだけ避ける」という決意は、吉年間田茂氏や第2次世界大戦敗戦後の自由民主党の大先輩政治家の願いであります。私も首相として、先輩の意志を引き継いでまいります。

イスラエルの格言の一つに、一人人の命は、この地球より重い。」というものがあります。

 ホロコーストを経験した民族ならではの非常に意味深い言葉です。

 この言葉の意味が分からない政治家は、今すぐに、政治の世界から去るべきです。

 子孫戦争の恐怖・悲惨さ経験させないためには、多少の国としてのプライド・国益を犠牲にしなければ、実現できないことと考えます。

 吉田茂日米安保条約を結ぶ時に、自分の命が狙われるほどの反対があったように、私も、隣国、中国、韓国、北朝鮮、ロシアとの不可侵条約の締結、インターナショナル地域創設に、身命をかけて、実現に向かって行くことを、国民にお約束いたします。

 

 苦渋の決断の後首相の額には、のような滲み出ていました。これからの首相が進む道は、首相の命さえ狙われる険しい茨の道です。「いばらの道」の残酷な冷たさを感じた時、私は、涙の冷たさで、夢・幻から目覚めました

上記のものは、夢・幻であって、事実ではありません。

菅義偉氏は、素晴らしい総理大臣です。

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          紫 宸 殿    京 都 御 所

 

 菅義偉内閣総理大臣活躍したのは、「コロナ禍という有事中」激動の1年間だけでした。コロナ禍の中、他の大物政治家が、責任逃れで前面に出るのを躊躇する中菅氏は「貧乏くじ」を毅然と享受しました。

 それにも関わらず、1年あまりの間に、菅氏が成し遂げた功績目を見張るほど素晴らしいものでした。「デジタル庁の創設」、「オリンピック・パラリンピック開催」、「不妊治療の保険適用」、「対コロナウィルス用、安全性の高いワクチンを国民全員分確保」等、専門家認める功績が多々存在します。

 しかし、本日は、専門家とは違った私独自の目線で、「菅氏の功績」ふり返りたいと思います。本日は、「私目線の菅氏功績」を3例紹介いたします。

 まず一つ目は、コロナ禍の中、日本は、ワクチン接種スピードは、世界トップクラスを保持すること」出来た事です。

 これは、菅内閣総理大臣が、「ワクチン接種の打ち手問題」で、超法規的措置で、歯科医師自衛隊にも、ワクチン打ち手となること許容したから成功した事です。

 民主主義盲信する政治家や評論家の中には、超法規的措置の施行警笛を打ち鳴らす輩も居ますが、私は違うと考えています

 私の考えは、民主主義よりも命を大切にする政治ということです。

 ノーベル賞より世界的に権威のあるイスラエルのヤドヴァシェム(諸国民の中の正義の人賞)受賞メダルの裏側には、「一人の人の命は、この地球より重い」と書かれています。

 一部の政治家や評論家は、超法規的措置が乱発され独裁者が生まれたり、一集団が忖度され、独裁者や圧力団体が暴利を貪る」のを警戒するからでしょうが、

日本国民は賢い国民です。

 超法規的措置重い選択ですので、施行されるごとに、国民は吟味し、その「超法規的措置」が正しかったのか、誤った選択肢であったのか判断し、世論・選挙より、裁きを下すことが出来ます

 もし1995年1月17日の「神戸大震災の時に、総理大臣であり、超法規的措置で自衛隊をもっと早く動員していたなら数多くの命が救出されていたのに」と思わずにはいられません。

 2つ目は、原発事故で発生した処理水海への解放です。

 パーフェクトな汚水処理法が存在すれば良いのですが他に選択肢はありません「最大限安全な基準」にして、海に流すしか方法がないのです。

 責任を取るのを恐れて何もしない、ステレオタイプ的日本独自の政治家数多く存在する中、菅氏は首相として、間違いなく起きる「反対運動」をも覚悟しながら自らの責任と判断により、「原発事故処理で発生した汚水を、現在最善考えられる方法処理する決断をくだしました政治家責任逃れのために、今まで何度後回しにされてきた方法で、菅総理決行の決断をくだしたのです。

 財政破綻間近に迫っていても圧力団体を恐れて、何もしなかった何処かの市長とは大違いです。

 3つ目は、やはり、オリンピック・パラリンピック開催し、大きな事故もなく、成功させた功績でしょう。

 日本国民、特に子供たちが、オリンピック・パラリンピックアスリート達から夢と勇気、努力する大切さ得たことも大きい事ですが、全世界「日本の技術の素晴らしさ」示せた事は、感激で胸が熱くなります。

 特に、オリンピック・パラリンピック開催時「サイバー攻撃」曝されたはずですがオリンピック開会で、「無数のドローンを操作・使用し、サイバー攻撃を撥ね退けてのパフォーマンス」は、圧巻でした。日本の「AI技術素晴らしい平和利用法」を世界に示す事ができた一例です。

 では、このように、功績を残した菅氏ですがなぜ人気無いのでしょうか。

 たしかに、彼に、「雄弁に語るカリスマ性」無かったことも事実です。

 しかし、最大の原因は、「彼の足を引っ張る集団」責任です。圧力団体、「日本医師会幹部」の責任です。

 日本には、コロナウィルスに立ち向かっている素晴らしい医者や看護師が居ますし、コロナに立ち向かう「素晴らしい意志」を持った医師・看護師も数多く控えていました

 それでも医療拡充は、この一年間ほとんどなされなかったのは、日本医師会の幹部の責任」です。

 政府は、予算も付けて「コロナ患者のための医療拡充」を図ろうしました

 しかし、「医療拡充」が実現しなかったのは、動こうとしなかった圧力団体、日本医師会の責任です。

 専門家たちも、専門家会議で自粛させる相手は、飲食店・観光業等のみで、仲間意識の強い医師会強行姿勢を取ることはありませんでした。

 「デルタ株感染の猛威」誤算でしたが、最大の原因は、「素晴らしい意志を持つ医師・看護師だけに押し付け専門医会議が、圧力団体、日本医師会に気兼ねをして、飲食・観光業等だけ自粛をさせなければならなかった事が、最大原因です。

 コロナの流行も、インフルエンザの流行と一緒で、人流にあまり関わりなく気温・湿度、季節により流行来襲し、無暗に飲食業や観光業等を自粛させても、効果が期待できないし、「ピークアウト」を過ぎるまで、「マスク着用、三蜜を避ける、帰宅時のうがいと手洗い等」国民が自衛するしかないと、私は、ブログを通して再三再四、訴えて来ました。

 

 上記のことは、将来専門医たちの判断が誤っていた事「歴史」が将来証明してくれるでしょう。

 菅総理、お疲れ様でした。私は、「世襲議員たち」が総理大臣にカムバックしてくるのを望みませんが、貴方のカムバックは、心から待ち望んでおります

 

 

 

 

 

パラリンピックから私達日本人が学ぶ事

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     ア ン ネ の バ ラ   嵯峨野教会 京 都

 

 40年以上前出来事です。私が学生時代、ヨーロッパを独りで放浪した時の出来事です。

 ドイツミュンヘンで、とある映画館に入場しました。そこで、見た光景は、今でも夢にでてくるほど鮮烈なものでした。映画館障がい者の人々のために完全なバリアフリー設計されている事かされたのです。

 日本で暮らして、現在、映画館にも、しばしば通う私ですが、当時のドイツ映画館には、完全バリアフリーの点で、日本の最新映画館は、今でも、それに及びません。

 理由は簡単です。社会福祉先進国のドイツ途上国日本では、障がい者と健常者との理想の関わり方」考え方が違うのです。

 私は教師という職業に関わってきたにも拘わらず、障がい者の方々と健常者が如何に関わり、暮らして行くか」について、長い間、多くの日本人と同じように、間違った考え方、障がい者の方々が望む理想の社会」とは違う、誤った考え方理想としていました。

 即ち、私が思い描いていた「理想の障がい者の方々との健常者の関わり方」は、車いすに乗る障がい者の方を、常者が補助して、全員で支え合う社会」でした。

 しかし、ドイツなどの社会福祉先進国障がい者の方々が理想とする社会違うのです。

 車いす障がい者健常者並んで平等に暮らせる社会」、これ理想なのです。

 健常者が支え、補助しなければならない社会では不十分なのです。だから、いつまで時を経ても、日本は社会福祉先進国に追いつけないのです。

 パラリンピックで、日本たくさんのメダル取るのを見てテレビ報道の多くの解説者たちは、「日本は、他の先進国に負けない、障がい者にとって、良い環境の国だと証明出来た」誤解していましたが、ヨーロッパの社会福祉先進国と、日本には50年以上の遅れが存在するのです。

パラリンピックは、日本人にそのことを教えてくれる良い機会でした。

 さて、パラリンピックは、ドイツ系ユダヤ人、グッドマン氏の意向で始まりました。彼は、障がい者の方々がスポーツを通してできないことに目を向けて、マイナス思考になるのではなく出来ることに目を向けるプラス思考で暮らして行くことの大切さ」を、障害を持つ方々に教えようとしました。

 同時に、グッドマン氏は、健常者にも大切なメッセージを与えてくれている事を、私はパラリンピックを通して悟りました。

 全ての人間には、心の中「差別と偏見を生み出す源」を持っています。キリスト教ではこれを「原罪」と呼びます。

 差別と偏見がどうしてう生まれるかというと「無知な親が、自分の子供に、誤った考え方を植え付ける様に教えるから」なのです。差別偏見は、人々の無知から生まれるのです。

 パラリンピックを通して私たちは学びました。「障害を持つアスリートたちは、健常者の何倍もの苦労と努力をしなければ、栄冠を勝ち得ることはできなかったんだ」ということを、私たちは学びました。

 私は、パラリンピックで活躍したアスリートたち尊敬の念を持って見ることができました。

 健常者である私ですら感動するわけですから、同じ障害を持つ子供たちは、パラリンピック活躍したアスリートたちを見て「自分にも出来るんだという希望・励まし」そして、出来ないことではなく、出来ること向け進む「夢と勇気」抱くこと出来た違いありません

 健常者も、パラリンピックで活躍するアスリート裏側に存在する困難と障壁気付きそれを血のにじむような努力と訓練で乗り越え克服したアスリートたちの姿を見てパラリンピックで活躍したアスリートたちに「尊敬の念」を持つことが出来たはずです。

 この「尊敬の念」こそが、健常者たちに、障がい者の方々理解させることに繋がるのです。

 理解こそが、無知から生まれる「差別と偏見」を、人々の心から取り除いてくれる「魔法の薬」なのです。

 この「魔法の薬」こそが、健常者心の中存在する障がい者に対する差別を無くしてくれるのです。それはまるで、「崩すのがほとんど不可能に見える大岩」少しずつ崩してくれる役割をする海の波」の様です。

  ここに、パラリンピック開催する意義」があり、日本ロナ禍にあっても、強行する価値のあるものだった」と私は考えるのです。