冬 景 色 岡 山
2019年12月4日、正午前後だったと思います。
当時、英語教師であった私は、例年、3学期の初めに、英語の教材として、「中村哲氏の伝記」を生徒たちに学ばせていました。教材研究の一貫として、直前に、「クリスマスのために、アフガニスタンにサプライズ訪問をしていたトランプ大統領の記事」をパソコンで検索していたのです。
その時偶然、中村哲氏の「テロによる銃撃襲撃事件で負傷の知らせ」を発見しました。当初、病院に運ばれた中村哲氏は、「重体ではあるが、命は別状なし」との報道でした。しかし、夕方になって、「中村哲氏死亡」の悲報が飛び込んできました。
私は、生徒たちに、この事実をどのように伝えるべきかを、苦闘、思案したのを、今も忘れることはできません。
中村哲氏は、「20世紀が生んだ偉大な魂」であり、「世界で尊敬される数少ない日本人の一人」です。
しかも、「2001年9月11日、歴史を変える悲劇が計画された時に、アフガニスタンに滞在し、当時のタリバン政府と交渉していた数少ない日本人目撃者」なのです。
歴史が大きく変わっていくのを、現地で目撃した証人でもあります。
哲氏は医師として、イスラム社会で貢献することになりますが、彼の素晴らしい所は、西洋の白人至上主義の人たちとは違い、クリスチャンでありながら、キリスト教文化を押し付けることなく、イスラム教文化を尊重できたところにあります。互いの違いから出発し、愛・友情・平和等の普遍的価値観について討論できる強い城、即ち、アイデンティティを持ち、イスラム社会の人々から尊敬の念を持たれたところです。
つまり、彼は「国際人」としての素養を身につけていたのです。そして、強い意志により、清潔な水不足のために、死に逝く多くのアフガニスタンの人々、特に、子供たちの為、まず、井戸を掘り、多くの命を助けました。そして、さらに、広大な用水路を完成させ、一時は、数十万の人々の生活を支えることに成功したのです。
しかし、タリバンが政権を奪取して以来、中村哲氏の功績は抹殺され、それと同時に、アフガニスタンの多くの国民の上に、飢饉や疫病の災難が降りかかり、罪も無い幼い子供たちを含め、戦争時よりも、さらに多い死者が出ようとしているのが現在です。
中村哲氏を暗殺した犯人は、まだ判明していません。
本当に「偉大な魂」と呼ばれる人は、全員から愛されることはありません。その人が邪魔で、敵になる人たちからは、抹殺したいと思われる人が、本当に「偉大な魂」なのです。その意味で、中村哲氏は、「20世紀が生んだ最後の偉大な魂の一人」に間違いありません。
中村哲氏を暗殺した集団、もしくは、国はまだ判明していません。日本の警察が2年間捜査して、まだ犯人集団を特定できないでいます。
それは、その集団が、用意周到に計画を練り、暗殺を実行出来る「高度な集団」であったからです。
犯人は、「アフガニスタンの復興を望まない集団」の中に存在します。
アフガニスタンの復興を望まない理由は、少なくとも、2つの可能性があります。
一つは、アフガニスタンで作られる「麻薬・アヘン」に関係しているかもしれません。その当時、アメリカと闘争するために、アヘン栽培を奨励していた「タリバン」も容疑団体の一つです。タリバンは、現在、中村哲氏の功績をも消し去ろうとしているのですから。
もう一つの可能性は、アフガニスタンが豊かになれば、自分たちの武器、あるいは穀物等が輸出できなくなることを懸念した集団、もしくは、大国の可能性があります。
しかし、現在、どんな圧力が、存在しても、いつの日か、「歴史」が「犯人は誰だったのか」を世界中に明確にしてくれることを私は確信しています。
10万人以上の命を救い、数十万の人々の生活を支えた中村哲氏ですが、「ノーベル平和賞」を受賞することはありませんでした。もし、彼が、キリスト教社会で同じことをしていたら、彼は間違いなく「ノーベル平和賞」を受賞していたでしょうに。
イスラム社会、しかも、「9・11のテロを起こしたアフガニスタンでの出来事」ということで、西洋からは、評価されなかったのでしょう。
彼を評価しなかった理由は、「白人至上主義という傲りが、無意識のうちに、西洋の人々の心の中に存在している証」と私は考察します。
「命」の尊さにキリスト教徒にもイスラム教徒にも変わりはありません。
もし、西洋の人々が、命の重たさに変わりはなく、「全ての人の命は、この地球より重たい」と信念がありさえしていたなら、中村哲氏は「ノーベル平和賞」を受賞していたでしょう。
中村哲氏が暗殺されたこととタリバン政権の出現で、「アフガニスタンの復興」は、遠退き、アフガニスタンの人々には、大艱難辛苦が来襲しようとしています。
心あるアフガニスタン人々が難民となり、辛苦を経験しているのが現状です。
しかし、そのような現状であっても、いつの日か、心あるアフガニスタンの人々が祖国に戻り、中村哲氏の意志を継ぐことを、私は信じています。
1964年、東京オリンピック当時の「緑に包まれた、豊かな農業国」として、復活することを私は確信しています。
なぜなら、中村哲氏は、アフガニスタンの人々の心奥底に、「いつまでも消えない灯火、偉大な仕業」を、もうすでに成し遂げてしまっているからです。
今は亡き、中村哲氏と心あるアフガニスタンの人々を偲んで、再度一筆残します。