志が絶対必要な職業 第 3 章 教 師

           日  没     岡  山  

 

「教育の究極の役割は人類文明持続への貢献だ。加えて、わが国の命運もかかっている」

 これは、野依良治氏の教育に関する名言です。日本の命運を左右し支えるのは、まさに、「教育」です。 

 従って、どんな職業よりも、「志」が必要なのは、教師職と言っても過言ではないでしょう。

 現在、日本は、あらゆる部門で、衰退の一途を辿っているようです。

 これは、「日本の教育の在り方がどこか間違っているからだ」と私は考えています。

 2側面から「日本の教育」を分析して観たいと思います。

 まずは、教師採用の側面から考えましょう。さて、どの様な人物が教師に相応しいのでしょうか。

 日本の文部科学省は、「賢くて、優秀な人物」を求めています。これは、教員採用試験内容を見れば明らかです。しかも、最悪なのは、日本の賢くて、優秀な人物とは、知識偏重で、暗記力の優れた人を、日本の文部科学省は採用している様です。これが、日本の子供達の成長には、マイナスなのです。

 「暗記力に長けて、賢い人」と言うのは、苦労せずに知識を修得してしまいます。これは、教師の質にとっては、なのです。

 なぜなら、その教師は、自分が簡単に習得できるのに、「子供達がなぜ習得出来ないのか」が理解できない、分からないからです。

 教師にとって、「優秀」であることは、反って「負の資質なのです。

 教師に向いているのは、むしろ、不器用で、習得しなければならないことを、苦労して習得している人物です。

 こうした人物教師に相応しいのです。また、その様な教師は、生徒たちに、「自分にも出来る」と悟らせ希望を与えることが出来るのです。

 そして、その様な教師自身の存在が、生徒たちの励ましにもなり得るのです。

 さらに、教師求められる資質として、「徳の高さ、良心が心に充満している事」が大切です。

 文科省の方々に心留め置いて欲しい事は、「知識豊富で優秀な人物と良心が充満した人物とは、正比例しない。むしろ、無関係な資質である。」と言うことです。

 「健康な精神は、健康な肉体に宿る」というギリシャ代からの格言があります。

 スポーツを極めた人物の中には「スポーツを通して子供達と一緒に成長して行きたい」という志を持つ者がいます。この人達には、教師に適した人材が多いようです

 スポーツや芸術を極めた人物は、子供達からの信頼も得やすいので、中等教育教諭に向いています。なぜなら、努力して獲得したスポーツ・芸術に於ける技術力の高さは、生徒たちの信頼を勝ち取るのに大いに役立ちます

 「教育」というものは、教師と生徒の間に信頼が無ければ成り立たないものだからです。

 日本の教育を衰退させているもう一つの原因は、教師を他の労働者と同様に、「時間」で管理しようとする姿勢です

 現在、文部科学省は、日教組や政権を狙う野党の圧力で、「三六協定」なるもので、教師を管理しようとしています。

私は予言しておきます。「三六協定」は必ず破綻しま

 なぜなら、時間の制限は、教師と子供達の魂と魂のぶつかり合いと言う「教育のダイナミックス」妨げるからです。

 「三六協定」が施行されてから学校の責任者、校長は、教師の過労死等訴えられるのを恐れ教師が、学校に残っている事さえ禁止する学校が増えています

 これでは、教育の本当の意味「生徒の能力を引き出してあげること」は不可能です。

 分かり易いように、中学や高等学校野球選手の例挙げてみましょう。守備が下手で、上手くなりたい生徒、A君が居たとします。A君は、学校のクラブの教師コーチんで、全体練習後、ノックをしてもらいます。毎日、夕闇でボールが見えなくなるまで、コーチにノックしてもらったお陰で守備が上手くなり努力する事の大切さ学び、勉学にも好影響を与え、著しい成長遂げることができました。

 この類の経験をして、成長して、プロ選手になったり、素晴らしい企業戦士になった人物は、数えきれないほど昔は居ました

 しかし、現在この様な生徒の成長は、期待できないのです。校長は、保護者の顔色ばかり気にし訴えられる可能性を無くす為、また、「三六協定」を守る為、教師に、課外活動で、遅くまで生徒たちを手伝うことを禁止しています。

 課外活動を無理やり教師にさせることは間違いですが、課外活動を通して、生徒と成長して行きたいと望む教師まで、その権利を奪うことは誤りです

 現在文科省は、教師が課外活動に関わらなくて良いように、地域に課外活動だけの専門家を育てようとしています。

 これには、大きな弊害があります。なぜなら、課外活動だけの専門家は、生徒の成長より、お金儲けや自分の名声のためだけに、視点を置いてしまう可能性が高いからです。

 生徒の成長を一番願うのは、やはり、親と教師です。

 課外活動を指導できる教師がいるならば、やはり、教師が指導するべきなのです。

 日本は、一時期、アメリカを凌ぐ程勢いのある経済大国でした。それは、過去の日本教が、海外で活躍する企業戦士に素晴らしい人材を送っていたからです。  

 現在、衰退の一途を辿っているのは、日本教育の改悪が原因です。その改悪の中心は、「三六協定」です。

 西洋の教育に於いて、社会が教師に課する責任は、「教科指導」だけです。

 しかし、日本は、西洋とは違い伝統的に徳育」も学校の責任となっています。

 西洋では、徳育は、教会が責任を持ちます。ですから、西洋では牧師の社会的地位は高いのです。

 ところが、日本では、徳育については、伝統的に、校の教師任されて来たのです。

 その為、日本の教師は、「先生」と言う称号が与えられるほど、西洋に比べて、日本の教師は、社会的地位が高いのです。

 明治時代以来、日本の教育、特に、教師の在り方は、正しい方向にありました。そのお陰で、日本は、一時期、アメリカから恐れられる程の勢いのある国だったのです。

 この事を理解せずに、政府や企業戦士たちは、グローバル化」の意味を取り違え、日本人の素晴らしい素質を消してしまう方向に動いてしまったのです。

 「グローバルとは、技術はユニバーサル・各国共通であるべきですが、文化はローカル・地方色豊かであるべき」なのです。

 教育それぞれの国の文化なのです。企業戦士たちは、自分たちが得た「日本の教育の素晴らしさ」気付かず「誤ったグローバル化に走り、政府その誤った方向に進んでいるのです。

ここに、日本の衰退の一原因があります。

 日本の教師は、元来、安月給でした。高月給は必要でしょうか。高収入にするから、「頭でっかち」の、暗記力だけが良い、教師に向かない人間が、教師職に集まって来るのではないでしょうか。

 しかし、その代わりに、教師は、社会的地位があるだけでなく、そうであった様に、社会から尊敬の念も持たれ、信頼される必要があります。  この点について、文科省は、教師のサポートしてあげるべきなのです。それによって、教師は、「教師に相応しいプライド」を持つことが出来るのです。

 日本が、過去の栄光を取り戻すには、「誤ったグローバル化よりも「教育の復活・教師の再生」必要なのです。

 を持つ、子供と成長して行くことが好きな人物が、日本の教育界に数多く輩出することを願っています。

 

志が絶対必要な職業 第  2  章  医  師

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        神様から希望の約束 「虹」  岡 山

 

  日本コロナ禍中り、一時は、「有事」の状態が極度に大変な時期もありました。この禍中に於いて大きな役割を果たしてくれているのが、「医師」です。

 医療大国の名恥じず多くの医師たち労苦お陰で、日本は、医療崩壊」を起こさずに、また、昨年は、オリンピック・パラリンピック開催を成功させることも出来ました。

 現在、オミクロン株が流行しています。しかし、コロナウィルス・デルタ株猛威を振るった期間分析すると、実際には、ある素晴らしい医師たちだけに負担がかかりました。

 その証拠は、日本全国の病院等に、約140万床あるのにもかかわらず、コロナ禍のために使われたのは、実に5%前後にしか過ぎませんでした

 その責任は、日本医師会幹部在ります。日本医師会幹部たちをはじめとする集団は、「自分たちに、火の粉が来ないようにという動きばかりをして、「まさかの時」に備えをしない姿勢は、「責任逃れをしている」としか、国民の目には、映りませんでした

 今のところ、志ある医師たちのお陰で、日本は滅びずに存在出来ています

 しかし、日本医師会幹部のような集団が、有力な与野党議員をサポートすることによって、政治圧力を掛け続けるならば、日本は滅びてしまうかもしれません。

 先日、任期を終えようとしている日本医師会会長が、「コロナと共に生活する事、「ウィズ コロナ」が終わらない限り、マスク着用義務化を止めることはありません発言しました。私は、自分の耳を疑いました

 なぜなら、「ウィズ コロナ」とは、言い換えると、「コロナウィルスをインフルエンザと同様に考えて生活して行く」という意味です。インフルエンザは、毎年、流行期が存在しても、この世界から、消え失せることはあれません

 こんな常識も分からない人が、会長に就任できるのは日本医師会が、自己利益だけを追求する組織に堕落していて、常識が欠けていても、自分たちの利益を守ろうとする能力に長けている人だけを、会長に選んでいるからではないのでしょうか。

 現会長は、次期会長選には、出馬されないそうですが、日本医師会が、本来の姿ー--「国民の健康と、命を救う・守る」という原点だけに帰る事が大切です。この志を持つ人物が、次期医師会会長に当選されることを期待しております。

「医師」と言う職業は、社会的地位も高く、高収入が得られる職業の一つです。高収入ということは、「政治家」の場合と同じで、「諸刃の剣」となります。

 現在の教育制度では、暗記力さえ良ければ、国家試験合格してしまうので、「金儲け」の為や、「親が医者だから」という理由だけで、医師に成ってしまう世襲医師」がたくさん生まれます。

世襲政治家」の場合と同じ世襲医師てが悪というわけではありません。しかし、世襲医師には、医師としての「志」が足りないまま、医師になってしまう場合が少なくないのです。

「医師の志」とは、命の尊さ心の奥底から悟り救命の為努力惜しまない。また、健康の大切さ人々教え諭そうとする意志」というのが、私の「定義」です。

飽食を経験し、温室育ちの日本人からは、素晴らしい医師は生まれにくいようです。

 むしろ貧困ぎ、肉親を戦争や病気失った開発途上国の国民方が「医師の志」持ち易く「素晴らしい医師」を輩出する確率高いようです。

 自分の肉親を死なせてしまったというハングリーな気持ちが、「もはやこのような悲劇を繰り返してはならない、同胞の命を救うのだ」という気持ちが、医師になることを強く決意させるからです。

 しかし、日本も、現在コロナ禍を体験し、自然災害原発事故等悲劇経験しています。  これらの悲劇により、心ある医師たちの魂立っています。また、これから医師になろうと望んでいる若者たちの心にも、変化があるようです。

 きっとこれからは、アフガニスタンで活躍した中村哲氏のような、素晴らしい医師たち」が、現在の日本に於いて輩出することを、私は確信しております。

志が絶対必要な職業 第一章 政治家。

  春 を 待 ち 詫 び る 冬 の 自 然  岡 山 自 然 公 園

 

 職業の中には、「志」無し就くと、国民が困り亡国に繋がりかねない職業があります。そのいくつかを何回かのブログに分け、紹介したいと思います。

 先ずは、そのたるものが政治家です。昨年政治家の特権の一つである、「文通費」100万円が、「当選後、数時間で支払われる」ということが問題視されました。我々国民の常識では、仕事をまだしていないのに、支払われるなど、あり得ないことです。

 しかし、問題はもっと深いのです。この「文通費」については国会議員は、何に使ったか報告がいらないのです。

 この問題に関して、志ある議員を除いて与野党どちらの議員も、「日割り計算にする」と言う事だけで、決着をつけようとしています。この特権を守ろうという姿勢では、問題発覚の切っ掛けとなった衆議院選挙当選前から議員をしている政治家は、失格と言わねばなりません。

 政治家の「志」とは、国民主権の日本にあって、国民の安全・健康のために、惜しまないという姿勢のことです。

 しかも、未だ、国民「コロナ禍」という有事の事態苦しみ喘いでいる最中です。

 コロナ禍「未曾有の災難」ですから、矢面に立った与党議員が、効果的な政策打ち出しにくいのは仕方ないかもしれません

 しかし、その後ろに隠れて何もしない与野党議員は、「政治家の資格無し」です。

 特に野党政党には失望しました。

 いくつかの野党政党は、有事の国民の苦しみよりも、与党の政策だけに反対しコロナ禍を利用して、政権奪取に近づこうさえしました

 この姿勢は、日本の危機、「有事」取るべき姿勢ではありませんでした。

 なぜ、国民苦しんでいるときに、自分たちの特権をそのままにして政府の政策批判するのですか。

自分の身を削り、国民を救済するべきだと考えること先のはずです。

 政治家「自分の身を削って、苦しんでいる国民の救済」乗り出せば、かなりの富裕層の人たちも政治家賛同し、救済乗り出したはずです。

 今までの野党議員の多くが、政治家失格の証は、東京オリンピック開催に反対した姿勢」にも見て取れます。

 そもそも、オリンピック開催反対した根底には、「自分たちには、火の粉が飛んでこないように」という「事なかれ主義」があります。

 自分たちに責任が来ないようにという、「責任逃れの姿勢」です。これは、「日本の悪習」です。

 オリンピックを開催した事でどれだけの子供たちや弱い立場の人々が、「勇気と励まし」を受けた事かを考えると、オリンピック開催に反対した政党は、猛反省するべきです。

 国会議員の中には、自分たちの「特権」削ることに消極的な人ます

「特権が無くなれば、優秀な人材が政治家に成らなくなる」という意見です。しかし、私はその様な考え方には反対です。

 この様な「特権」があるからこそ「金儲けの為に政治家に成る者」や、世襲議員蔓延るのです。

世襲議員」の全てが悪いとは言いませんが世襲議員ほとんどが裕福な家庭に育った「お坊ちゃま、お嬢様」です。

 困窮した国民に、寄り添える政治家資質で、最も大切な資質は、「人生を通して、苦労して来た経験・忍耐」です。

このような資質備えた人こそ「優秀」で政治家に成ってほしい人なのです。

 「現在の選挙方法では、金がかかるので、裕福な家族を持つ世襲議員が当選し、優秀な資質を備えた人物が排除されている」と、私は考えます。

 コロナ禍を経験した私達国民は、「温室育ちの政治家では、有事の時には頼りにならない」思い知りました

 志のある政治家が当選できる様な「選挙制度」がぜひ必要です。

「コミュニケーション手段」が技術革新している現在お金のかからない選挙方法は可能なはずです。

 「志のある人物」が政界に躍進することを願って、この文章世に問います

 

 

 

 

明治時代からの日本英語教育は、世界に誇れるシステムです。 NO.3

       ア ン ネ の バ ラ   京 都

          

  日本が国際競争に打ち勝つ為に企業戦士たちは、さらに、語学力のある人材を求めています。

 その要望応えて文科省は、中等教育にメスを入れ、改革しようとしていますが、これは、大きな誤りです。

 明治時代から現在までにいたる日本の繁栄は、中等教育における「英語教育の成功の陰」と言うことを文科省の官僚も企業戦士も理解していません。

 そして、彼らはわが国独特の英語の学び方の欠点だけに注目してしまっていて自分たちがどれほど、中等教育における恩恵けてたか分かっていないようです。

 前回(NO.2)で述べましたように6時限、前後しかない中等教育の中に、「話す・聞く能力」を上達させる余地はないのです。「話す・聞く能力」育てるには、6時間では、「焼石に水」完全に足りないのです。

 そこで「話す・聞く能力」を育てる為の提案は、高等教育の現場、大学、もしくは、政府機関、地方自治体がサポートする「英語村」を創設することを提案いたします。

 「英語村」とは全てが英語圏の村と同じ生活をする場所を日本の土地に創する事ですが最低必要なものは、スタッフの居住地域、生徒の寄宿舎(留学生と同居させる)コンビニのような、何でも買える店(スタッフの家族等が経営)です。

 スタッフは、大学・地方自治が、英語圏姉妹校・姉妹都市と契約して、日本のことを勉強したい人派遣してもらい、見返りとして英語圏の土地に、日本語を学びたい人、生徒のための「日本語開設します。 

 スタッフには、光熱費を含め居住代を無料にするだけでなく、奨学金も出しますから、費用は多額になります。

 赤字にならないようにするため生徒は、大学生だけでなく、海外勤務に行く予定の企業戦士たち「英語村」で暮らせるようにし英語村から会社へ毎日出勤させます

 そうすれば仕事以外の時間、英語に全没入の環境(Total  Immersion)で英語が学べます

 また、企業にとっても、有効な施設となりますので、企業から寄付金を募ることもできます

 また、資金を充実するためには、中・高校生も、長期休暇中、短期留学できるようにして、ESL(English as a Second Language)のプログラムも充実させます。

 そして、高校生については、1年間、2か月間、1か月間それぞれのESLプログラムを創り留学生を募り、生徒と同じ部屋で、それぞれの期間共同生活させます。

 中・高校生にとっては、留学と同じ効果が得られるだけでなく、保護者にとっても、「テロなどで治安の悪い海外よりも留学させ易い」という長所もあります。

 また、飛行機代が不要ですので、その分授業料も少し割高で請求できます

 日本の中等教育における英語教育は間違っていないだけでなく日本の教育事情の中で、理に適った方法で、日本の明治以来の繁栄に大きく寄与しています。

「話す・聞く能力」が必要であるとしても、それを文科省や企業戦士の言っているように日本の中等教育の中解決しようというのは大きな誤りです。

 「偉大な魂」と呼ばれる人の共通点「読書が好きで読書を絶やさなかった」という所です。

 英語は、外国語であっても、言語教育の一貫であって、「人格教育」であり自分のアイデンティティを深く掘り下げるのに大きく役に立ちます

 また、ネイティブスピーカー理解する方法で句・節ごとに上から上から理解していく伝統的な英文読書方法は、英語圏の人たちの考え方をも学習者に理解させることができます。

さらに「英語の思考回路」をも学習者に理解させるようになります。

 現在企業戦士たち求めている「話す・聞く能力」中等教育実践する余地がありません

 従って、「高等教育、もしくは、政府・地方自治体が創設すべき、英語村で実践されるべきである」と考えます。

 これが日本人の英語力を向上させる為の最上方策です

 

 

明治時代からの日本英語教育は世界に誇れる素晴らしいシステムです。 N0.2

 

      ア ン ネ の バ ラ  京 都     2022年

          

 

   2011年3月11日東日本大震災により、日本全国悲しみに包まれる中一番悲しんで然るべき東北の人々は、逆に全国の日本人に勇気を与え、「日本人は恐るべし」思わせるほど驚きと感動世界の人々に与えることとなりました。

   通常「人間は死という極限状態に追い込まれると、自分のことしか考えなくなるもの」です。

 従って世界では、大震災のような惨禍の中では、人々動物化し、略奪・強姦などが起き、治安が悪くなるのが常識です。 

 しかし、東北の人々は、震災の中でも、お互いを励まし、助け合いました。これは、全世界の人々にとって、驚異を感じるほどの出来事で、我々日本人にとって東北の人々は誇りであり、日本の教育が世界最先端であることをも、東北の人々証明してくれているのです

  教育の最終目標は、「たとえ、死という極限に追い込まれたとしても、人間の尊厳を最後まで失わずに居る」ということだと私は思います

 これを、実際に、実行出来た東北の人々素晴らしいだけでなく日本の教育の優秀さを全世界に示してくれたのです。

 日本の教育は間違っていないどころか、世界有数の優秀な教育なのです。

英語を学ぶ生徒の皆様若い英語教師の皆さんへ

 日本教育素晴らしいところの一つに、「バランスのとれた教科数」があげられます。

 義務教育の最終段階である中学校では、9科目1週間の中で学びます

 開発途上国の中には、世界競争に打ち勝つために、役に立ちそうな語学教育だけを偏重したりしますが、そのような教育は間違いでしかありません。

  日本は、自分たちの教育を誇りに思いこそすれ文科省の支持通りに、「ころころと変える必要はない」私は思っています

 この事を前提とするならば、1週間の中の英語の時間数は、週6時間前後となります英語の時間数が少ない学校は4時間ということもあり得るかもしれません。この限られた授業数を有効に使うにはどうすべきなのでしょうか

 英語の力「読む・書く・聞く・話す」4つに分けることができますが日本の英語教育は明治時代から、「読む力」を重視して来ました。

 それは、当時、先進国であった西洋から知識を学ぶためでした。

 そして、この英語教育があったからこそ現在の日本の繁があることを忘れてはならないのです。

 日本の英語教育国語教育と同じく今でも「人格教育」の中心で、その重要性は現在に於いても、未来に於いても不変です。しかも国語とは違う読解力・理解力を、「英語による読書」は与えてくれます

 さらに最新の情報は、学会でもほとんど英語でまず発表されるので英語国際共通語としての重要性も増しつつあります

 一流の人物を輩出するためにはまず「読む力」をつけさせることが必要不可欠です。

 このことは、現在も未来も、昔と変わらないのです。いや昔以上に重要なことと言わなければなりません

 この読む力を蔑ろにして、文科省や、企業戦士たちは、中等教育「聞く力・話す力」をもっと重視するように求めていますが、大きな誤りだと私は考えます

 6時間しかない時間全部割いて「聞く力・話す力」つけるために当てたとしても、その力の習得はほとんど不可能です

 なぜなら、「聞く・話す力」の習得には「全没入(Total Immersion)の環境忍耐を伴う「繰り返し作業」必要で、週6時間では、「聞く・話す力」獲得するには、全く足りなくなるだけ、「焼石に水」状態の悲惨な授業になるだけなのです。

 しかも、「人格教育」の大切な時間が奪われるのです。

 日本「伝統的な英語教育」は、限られた授業時間数の中、「辞書を片手に、いかに、英文の内容を正確に把握するか」追求した、日本人の知恵の詰まった素晴らしい手法なのです。

 英語圏とはかけ離れた「文化」を持つ日本人にとって、「伝統的な英語教育法」は、ごく短時間で英語の古典まで読むことを可能にする日本独特の効果的な学び方なのです。

 英語圏外国人先生(Native Teachers)は、私たちがシェークスピア時代の文章を教えると「そんな言い方は古臭くて、今は使いません。」直ぐに反論してきます。

 しかし私の視点は、「国際人としての素養」として、また、相手の信頼を勝ち取るためには、「相手国の古典は読んでいなければならない。少なくとも、古典を読む力がなければ、相手国の人達と対等に渡り合えない」ということです。

 英語共通語とする国際人たちと対等親交関係持とうとするなら、自国の古典だけでなく、相手国の古典を読んで相手国の文化を熟知して、尊敬の念を抱かせることが必須だからです。

 古典の読み方など英文科へ行く者以外、大学では学べません

 高校では、「辞書片手に自分で努力すれば、英語の古典が楽しめる程度に成る。」ということを、英語教師は教えているのです。

 「話す・聞く力」独学で学んでいけますが、古典を読めるようになる「読み方・文法」は、教師から学ばなければ、一生身に付かない能力だからです。

 もう一つ「日本の英語教育」の強みは、読む力に於ける、教師の為教科書マニュアル(Teacher’s Manual)」が素晴らしいということです。

 日本では、第一外国語として、義務教育最終段階である中学校の生徒英語を学ばなければなりません生徒たちに実力をつけるためには、「英語の能力の優れた教師」を多数手配しなければなりません

 しかし、実際には、各学校は講師の人数も含めて、優れた教師の確保というのは、「至難の業」となります。

 教員免許を持っていても、優秀とは限らないからです。

 しかし、「日本の教師のためのマニュアルは、教師の実力不足を十分補ってくれるほど丁寧で、素晴らしいものです。

 日本人は、英会話さえできれば、「尊敬の念」相手与えられると勘違いしてしまいます。

 英語圏では聞けて、話せても、読めない、書けない人々がたくさん居ます

 従って聞けて、話せても、相手国の人々から、尊敬されることには繋がりません。

 「愛について」、「平和とは?」、「自由について」、「友情とは?」など、どの国民も憧れる事について、討論できる能力がなければ、相手国の尊敬の念を自分に持たせることはできないのです。

 抽象的事象について、討論できる力が獲得できてこそ相手から尊敬の眼差し見られ国際人として認められるのです。

 誤解しないでください。私は「話す・聞く力」を軽視しているわけではありません。

 私の意見のポイントは、中等教育では、自分のアイデンティティを深く掘り下げるために、また、人格教育のため、英語は国語と同じ様に、「読む力」の獲得が重視されるべきであるということです。

 中等教育では、週6時間程度しかない中に、さらに「話す・聞く力」も学ばせようとする文科省の今の方針間違っていると言いたいのです。

 では、「話す。聞く力」はどのように、学ぶべきなのでしょうか? 

 私の考えは、聞く能力のために、初等教育大量の英語音声を生徒に聞かせ聞く耳敏感にさせ、抽象的な事柄に議論できる能力は高等教育の場で行うべきだと考えています。

 政府の機関、地方自治体の機関、もしくは、然るべき大学の機関に「英語村」を創設し、英語しか使えない、完全没入(Total Immersion)の環境を創り、ある程度の期間中、24時間集中教育を施し、「英語漬け」にすべきだと考えています。「英語村」については、次回のブログで詳しく述べるつもりです。

 

 

 

 

明治時代からの日本英語教育は、世界に誇れる素晴らしいものです。 No.1

       

             ア ン ネ の バ ラ

 

「経験というものは、欲しいと思ったものが得られなかった時に、はじめて得られるものです。」

 この言葉、47歳という若さで亡くなったランディ・バウシュ教授「最後の授業」での言葉です。この意味は、「経験」即ち「技術の様なもの」は、失敗はするべきで「失敗が無ければ、技術や経験は身に付く事は無い」ということを意味しています。

 私は、40年間英語の教師でしたが、英語の勉強にもこの事が当てはまります。

 英語の勉強をする際に生徒たちには、大きな誤解生まれます。それは、「学校の授業を受け、先生の話を聞いて、ノートを取り、試験前に復習さえすれば、英語の実力が付く」という誤解です。

 数学や理科の勉強は、労力をできるだけ省き、近道をした方が良い学問です。しかし、英語は違います。なぜなら、英語はスポーツや楽器演奏の技術と一で、忍耐努力を持って日々会得して行く「技術」だからです。

 貴方プロのピアニストなりたいとしましょう週に何回か 日本一素晴らしいピアノの先生就いて学んだとしてもどんなに分かり易い説明を聞いたとしても、 もし貴方が、努力と忍耐を持って、自分から進んで日々、毎日練習しなければプロどころか、貴方の特技にもなりません。

 英語の勉強も同じです。英語力即ち「話す・聞く・読む・書く」は、全て技術ですから、日々練習をしなければ、決して身に付きません

 練習とは失敗の積み重ねです。ランディ・バウシュ教授言うように、失敗をするから、技術は身に付くのです。

 プロのテニス選手になった人も、最初は面白くない「素振り」繰り返しボールを打ち出した時は、「空振り」・「ホームラン」・「ネットに引っ掛ける」というような失敗を重ねて行くから上達するのです。

 では、英語の学習における失敗とは意味するのでしょうか?

 それは、「予習を毎日する」ことです。復習も疎かにしてはいけません復習には失敗がありません

 どれだけ復習をしても繰り返しがなければ「技術の修得」には繋がりません

 確かに、復習さえしていれば記憶力の良い人ならば、中間・期末テストでは高得点が取れるかもしれません。

 しかし、これは、自分の暗記力の良さを人に見せつけ、優越感に浸ることにしかなりません英語の実力は、復習だけでは絶対に身に付かないのです。

 「勉強は家でするもの」です学校は、教師に自分勉強の仕方が間違っていないか指摘してもらう、つまりフィードバックしてもらう所なのです。

 さて、スポーツや楽器演奏の失敗は、どのようなものかは、分かり易いですが、それでは英語の失敗とは具体的にどのようなものを意味するのでしょうか。

 英語に於ける失敗とは、読む力では、正しい訳を知る前に、辞書を片手に持ちながら自分なりの訳をすることです書く力於いては、「文法のドリルの数を毎日熟す事」、あるいは、「毎日、英文を書いて、教師に添削してもらう」を意味します

 どの場合も、辞書を参考にすることは構いませんが、失敗をすることが目的ですから、正解を先に見ることや、自分が解答する前に、他人から簡単に正解を教えてもらうこと厳禁です。

 なぜなら、そこには、失敗が無いからです。

従って、予習時に、教科書ガイドを見ながら勉すること最悪です。そこには、失敗が無いからです。

 英語の読む力を身につけるには、辞書と参考書を頼りに、まず自分なりにトライし、失敗することが大切なのです

 もう一つだけ、注意をすることがあります。

 それは英語を学ぶ生徒さんたちには「ノートに日本語の全訳を書かない」英語を教える教師ノートに全訳書かせないいうことです。

 英語を学ぶということは英語での考え方を身につけることが一番大切です。

 ところが全訳ノートに残すと、内容・概念 ⇒ 日本語文 ⇒ 理解の順番になり、これでは日本語の勉強であって英語の考え方は、絶対に身に付きません

 必ず英語の内容・概念 ⇒ 理解 ⇒ 綺麗な日本語文の順でなければなりません

 この順で学ぶためには、内容・概念を把握するために、上から内容把握して行く、「直訳」即ち、日本語の助けが必要になります。 

 つまりネイティブスピーカーが英文を理解していくように句(phrase)・節(clause)ごとに分けて上から、上から訳す」という技術必要なのです

 その為に英文法を学ぶこと必須です

 読む力無いならばどれだけ「話す・聞く」能力があっても、国際社会の組織や企業働くことはできません

 読む力を身につけること生徒教師疎かにしてはいけません

 もう一度、繰り返します。「勉強は、基本的には面白いものではありません英語のプロになるつもりならば、忍耐を持って、毎日鍛錬しなければ決して英語修得することはあり得ません

 ちょうど野球をする高校生が「甲子園」目指して、苦しい練習に耐えるような努力絶対必要なのです。

 

ぜひ、実践してみてください

 

民主党 アメリカ合衆国大統領 2人の大罪

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        冬と春の境目  森 林 公 園   岡 山

 

 民主党元合衆国大統領、オバマほど、歴代のアメリカ合衆国大統領の中で、「人格者」は居ないと言っても過言ではありません。

 しかし、彼の犯した外交上のミスは、戦争を引き起こした歴代のアメリカ合衆国大統領比較しても、はるかに多くの人命を奪ってしまうミス犯してしまいました。

 舞台は中東でした。2010年から2011年に、「アラブの春」と呼ばれたアラブ世界の民主化運動は、イラクシリアに於いても、民主化運動が吹き荒れる結果となりました。

 2つの国には、共通点がありました。それは、「どちらの国も、裕福な少数民族からなる政府が、腐敗政治をしながら、弱者の多数民族を支配する」という構図を持っている事でした。

 イラクは、シーア派イスラム教信仰者が多数を占める国です。

 しかし、2003年まで、政府は、富裕少数民族である、スンニー派出身のフセイン大統領が支配し、親戚・同族のみで利益分配をする腐敗政治が横行しておりました。

 しかし、オバマ直前のアメリカ大統領であった、ブッシュJr氏によって、イラク戦争が引き起こされ、イラクにおける少数スンニー派の支配は終わりを告げることとなります。

 ブッシュJr氏の後アメリカ合衆国大統領に就任したオバマは、戦争嫌いで、中東の地で、アメリカ人若者たちが血流すことを嫌い

イラクに於けるアラブの春の混乱を放置したまま、201112月、米軍を全面撤収しました。

 その後、イスラムシーア派大国イラン介入もあり、多数民族のシーア派の政府が、イラクで誕生します。

 しかし、恐怖政治を強いていたスンニー派の少数富裕層に対する、シーア派民衆の恨みは深くスンニー派への弾圧・迫害が続きました

 オバマによって、引き起こされたアメリカの影響力の減少空白混乱に乗じてISIL、イスラム国の誕生という最悪の事態も招きました

 イスラム原理主義の、ISIL、イスラムは、奴隷制の実施等、人権無視した暴挙で、この地域弱者を虐げました

 オバマこの地域の混乱よりも、自国の利益を優先し、力のバランスを崩して、力の空白生み出した結果イラクでの、アラブの春が、イスラエルが予言した通り「アラブの冬」となり、この地域の多くの人命幸せな生活奪うことに繋がったのです。

 一方、シリアでは、イランのシーア派に近い少数派、アラウィー派アサドJrが、父の後を継ぎ、大統領の権力を笠に、腐敗政治を行い、アラウィー派の親族・同族だけに利益を齎しておりました。

 シリアは、イラクとは真逆で、スンニー派多数派の国でした。

 シリアイラクと同様アラブの春民主化運動吹き荒れ他の外国勢力が妨害しなければ、多数派のスンニー派が、民主国家を創設するはずでした。

 ところが当時アメリカ合衆国大統領オバマは、自国の若者の血が流されるのを嫌いシリアでの影響力を縮小させ、イラン・ロシア・トルコに、シリアの混乱処理を任せてしまいます

 戦争は、力のバランスが崩れた時に起こります

 この機に乗じて、ロシアは、中東での勢力拡大の為、それまで、劣勢であった、アサド政権を助け武力でもって、シリアの民主化を妨げました。

 現在ウクライナで、プーチン武力で暴挙を起こしていますが、シリアでも、同じ様に、シリア破壊して、思慮あるスンニー派のシリア国民弾圧しました。ロシアとアサド大統領は、化学兵器さえ使用した」と言われています

 アメリカ合衆国大統領オバマは、諜報機関からロシアとシリア化学兵器、細菌兵器を使用する恐れがある」と情報を得ていました化学兵器、細菌兵器を使えば、レッドカートだ」シリア、アサド大統領に、警告してはいましたが、アサド大統領が科学兵器を使用した後もシリアへの影響力を放棄しロシア・イランに治安を委ね、放置したまま、何の行動をも起こしませんでした

 この弱腰姿勢が、ロシアのプーチン更に傲慢にさせ、助長させる結果に繋がっています。

 ウクライナに於けるプーチン氏の暴挙は、「シリアに於けるアメリカの弱腰」大きく影響しているのです。

 現アメリカ大統領、バイデン氏は、シリアでのプーチン氏の暴挙当時、副大統領の要職に在りバイデン氏にもアメリカの弱腰」に責任があります。

 バイデン氏ウクライナの関係を説明すると、彼が、オバマ大統領の下、副大統領であった頃2009年7月に、不正選挙を覆しウクライナに新欧米政府を樹立させた時から今まで、深い関係を保持してきました。

 2020年バイデン氏の息子が、ウクライナ企業から破格の金額を授与され、税金問題で、アメリカ全国話題になった事もあります。

 バイデン現アメリカ合衆国大統領の外交上の大きなミス一つは、アフガニスタンからの米軍撤退」です。悪名高く、愚かなトランプ大統領でさえ、外交・軍事専門家の言うことを聞いて、撤退を躊躇していた事項であるにもかかわらず、後先の見通しもなくアメリカ兵の血が流されることを嫌がってアフガン撤退を実行いたしました。これは、側近、外交・軍事専門家の助言を無視した行動でした。

結果は、皆様ご存知の様に、非近代的なタリバンが、あっと言う間に、アフガニスタン全土を掌握し、政権に返り咲きました。その為豊かさ取り戻しつつあったアフガニスタン国民は、又もや、食料も暖房も得られない生活落とし入れられました。中村哲氏の努力も水泡に帰すこととなっています。

 何よりも最悪なのは、あまりにも多くのアフガニスタン国民が、難民となってしまったことです。  しかも、本来、アフガニスタン国を支えることのできる慮ある人たちが、殆ど難民として、国外に逃避してしまった事でした。

 これによりアフガニスタン国内に於いて、貧困・飢え・病の為、さらに多くの国民が命を落とす事となりました

 その中で、最も被害を受け、犠牲となったのは、子供たちでした。

 プーチン氏のウクライナ侵攻でも、バイデン米大統領の失策が続きます

 大国の外交で、最も大切なのは、「相手の国に、戦争の意志を捨てさせる事」です。

 しかしながら、ロシア軍ウクライナに侵攻する前に、有ろう事かバイデン氏は、「少しぐらいの侵略は、容認する発言」をしてしまったのです

 これによりロシア、誤ったメッセージを伝える事となりプーチン氏を助長させ、ウクライナの悲惨な現状に繋がっているのです。

オバマバイデン氏と言う民主党大統領2人と、その間の、「プーチンを天才」と称えた、史上最低の大統領、トランプ氏を含め3代に渡るアメリカ大統領の「自国の利益しか考えないアメリカンファースト」が、世界に「力の空白」を生み出してしまったのです。

 この「力の空白」の間に、ロシアのプーチン氏、中国共産党習近平氏、北朝鮮金正恩傲慢にさせ、助長させる事となったのは、この三代アメリカ合衆国大統領の失政責任でもあるのです。

 「人命より、自国の利益を優先する悪人」が、世界に解き放たれるのを防ぐには、世界警察が必要です。

 その中心を担うのは、今のところ、アメリカ合衆国しかありません。「強いアメリカ」の復活を祈ります

アメリカ大統領、バイデン氏には、汚名挽回の機会が未だ残されています