新島襄の良心碑
京都 同志社大学
杉原千畝という人物
皆さんは、杉原千畝という人のことを知っておられるでしょうか。彼は、「日本の外交官の中で、世界において、最も尊敬の念を持たれている」と言っても過言ではない人物です。
彼は、「第2次世界大戦中、リトアニアの日本領事として赴任していた時に、ナチスの迫害の中、欧州各地から逃れて来たユダヤ人のため、外務省からの訓令に反して、大量のビザを発給し、5000人以上の命を救った」という人物です。
彼はノーベル賞より権威があると言われる「ヤド ヴァシェム(諸国民の中の正義の人)」という賞を受賞した人物でもあります。
なぜ、彼は「政府の命令に反してでも、外交官として、成すべき事ができたのか。」
それは、彼が明治時代の人物特有の気骨さがあつたことも起因しています。
さらに、人命の尊さを知っていた人物だったからです。
また、彼は、日本に対して、真の祖国愛を持っていたからだと思います。
だから、彼は「外交官として、マニュアル通りに歩む人生」を捨て、多くのユダヤ人の命を救うことができたのだと思います。
つまり、「もし、政府の命令通りにして、多くのユダヤ人を死なせてしまうなら、日本は将来、世界史に於いて大罪を犯したとして、非難される」ということを理解できた人物なのでしょう。
だから、彼は「最愛の家族まで巻き込むかもしれない」と分かっていても、将来の日本のために「正義を貫く」ことができた人物なのです。
杉原千畝は早稲田大学出身で、同志社大学を設立した新島襄よりずっと後の時代の人物ですが、「政府のマニュアル通りには動かない人物を多く輩出し、日本の社会を大きく変えよう」と考えていた新島襄は、
「杉原千畝のような人物を数多く同志社で輩出することを願っていた」と私は確信しています。
祖国愛と愛国心の区別
私は「愛国心と祖国愛」を区別して使っています。
愛国心とは、「日本の国さえ繁栄すればそれで良いとする利己的な愛、盲目の愛」として、私は定義しています。
一方、祖国愛とは、「自分の国を愛せない人が世界を愛することはできない。しかし、自国の繁栄・幸せは、周りの国々が日本と同じように豊かにならなければあり得ない。」というグローバルな視野に基づく郷土愛のことです。
マニュアル通りに歩む人生
さて、日本の社会には、「至る所に、マニュアルが存在します。」
私は、教師でしたが、私の所属していた学校にも、マニュアルは存在しました。
ここで理解しておいて欲しいことは、「今、Aさんという教師がいます。もし、Aさんが、ある生徒を死なせたとします。
しかし、Aさんが、学校の命令したマニュアル通りにしていたならば、学校には責任があっても、個人には、責任を問われる事はない」ということです。
マニュアル通りに暮らしていれば、人生は楽に過ごせるのです。
この「マニュアル通りに暮らす楽さ」が日本の社会を蝕んでいるようです。
コロナウィルス禍を経験した私たちは、「日本の最上位に居る官僚や政治家たちが、マニュアル通りにしか動けず、国民を苦しめている状態」を経験しています。
しかし、知事の中には、マニュアル通りに動かず、地域の人たちのために奔走しておられる知事も居ます。
この知事と杉原千畝氏とには、共通点があります。
私たちが学ぶべき事
共通点とは、「杉原千畝氏は祖国愛と命の尊さから、ユダヤ人を救いました。この知事は、命の尊さと地域とその人たちを限りなく愛する郷土愛で、地域に貢献できています。」
つまり、両氏とも、命の尊さと民衆に対する限りない愛情を心に信念として保持しておられるから、偉業を成し遂げる力があるのです。
私たち教育者や親は、子供たちに、「マニュアル通りに暮らして楽に生き、責任回避ばかりを考える人生」を選ばせるのではなく、「私利私欲のためではなく、良心の自由に従って生きる」という新島襄の教えをもっと大切にさせるべきではないでしょうか。
新島襄 の望んだ人物たちが日本に数多く輩出してこそ、グローバルな時代に於いて、日本・日本国民が繁栄する道があるのではないでしょうか。
これが伝えたい本日のメッセージです。