アンネのバラ 嵯峨野教会 京都
人物紹介
20世紀に現れた「偉大な魂」の一人である。
マザーテレサは、宗教の争い、民族の争いの絶えないコソボで生まれる。幼い頃から、民族・文化の違いが生み出す、「宗教戦争・民族紛争」の悲惨さを見聞していた。
アイルランドでシスターとして修養した後、インドに渡り、修道院付属の学校校長の任に就く。
その後、インドの惨状を見かねたテレサは、良心の自由に従って、ローマ法王の許可を得た後、修道院を出る。インドの街に於いて、「貧しい人々のために奉仕活動」に献身した。自分の教え子たちの協力を得たマザーテレサは、「死を待つ人々の家」を開き、道端で死にゆく人達を保護し、他界していく「貧しい人々」の人権を守り、その死を見送った。
マザーテレサは、自分のために使う時間を惜しみなく、「貧しい人たち」のために使い、「児童養護施設」を開設し、「親から捨てられた子供たちの面倒を見るだけでなく、子供たちたちに生まれてきたことの意義・喜びと使命感を与える。」
さらに、「その当時、社会から村八分にされていたハンセン氏病患者たちの養護と就労に奔走する。」
マザーテレサの惜しみない「貧しい人々のためへの献身の姿」は、世界に感動を与え、その功績に、世界は「ノーベル平和賞」をマザーテレサに授与した。
マザーテレサの成功の秘訣
マザーテレサは幼いころから、「文化・宗教の違いが生み出す残酷な争い・戦争」を見聞していたので、文化の誇りと誇りが衝突する「悲しさ」、宗教の教義と教義がぶつかり合う「残酷さ」を身に染みて熟知していた女性です。
それ故に、自然と「国際社会」で何が大切かを本能的に嗅ぎ分ける能力が備わっていたのだと考えられます。
国際人と呼ばれる人は、自分の文化を熟知し、相手の文化についても充分理解していなければなりません。
しかも、文化に優劣をつけてはいけないということを理解していなければなりません。
マザーテレサは、自分の故郷の悲惨な状態を通して、国際人としての素養を自然と身につけていたのだということです。
「文化に優劣をつけない」とは?
国際人の素養とは、「自分のしっかりとしたアイデンティティ(Identity)を内面に構築し、しかも、その自分のアイデンティティという「自分の城」に相手の文化・習慣を尊重して受け入れる器量を持つということです。
このことのできない、不器用な国があります。先進国でありながら、「白人至上主義」のために、自国の文化がNO.1・ナンバーワンと考えている国々です。
例えば、この範疇にあるAという国が、戦火にあるアフガニスタンに学校を寄付したとします。
A国の民主主義の文化では、「男女共学」が常識であり、自分たちの文化では、男女平等の理念から正しいことなのです。
しかし、これは、イスラム教徒の多いアフガニスタンの人たちにとっては、「自国の文化に土足で踏みにじられた」という感情をたきつけることにしかならないのです。
これは、プライドだけの問題だけではありません。例えば、男女共学の学校に無理やり参加させられた、イスラム教女子生徒の中には、男子生徒からの好奇な目で見られるだけで、「私たち日本人の女子生徒が、男子生徒から暴力を受けた時と同じくらいの衝撃」を受けて、精神的に傷つく生徒も存在するということに気付いて欲しいのです。
ですから、Aという国は、その土地の人々に憎しみと怒りしか与えることしかできず、お金をどれだけ出して援助しても、国際社会では成功しないのです。
「文化に優劣をつけない」ということの難しさ
このような、失敗を重ねてしまう「白人至上主義の国々」の人は、第一に、相手の文化を理解するということに努力不足なのです。
と同時に、自分たちの文化がナンバーワンだという自負・傲慢さが、「相手のことを思いやるという想像力」を不足させているのです。
「文化に優劣をつけない」というのは、私たち日本人にとっても難しいことです。
なぜなら、時には、「先進国の真理である人権の問題と相手の持つ文化が衝突することがあるからです。
国際人として、どのように行動すべなの?
相手の文化と私たちの社会で言う人権侵害とが衝突する時があります。
たとえば、「インドのカースト制度」・「イスラム諸国の男尊女卑」などがその範疇です。
このような場合、どのように、私たちは国際人として、行動すべきなのでしょうか。「人権侵害はどのような場合も許してはいけない」という考え方もあるかもしれません。
しかし、国際人は、もう少し違う視点からこの問題に対処すべきだと私は思います。
それは、「どれだけ人権にかかわる事柄であっても、そこには、相手の文化の伝統と長い歴史があり、よそ者が、白黒の判断を早計に下すべきでない。」という視点です。
では、「どのように行動すべきか。」
その秘訣が、「マザーテレサの行動」にあります。
彼女はキリスト教徒で、しっかりしたアイデンティティの城・心の拠り所を自分の内面に持っていました。
そして、どれだけ自分のアイデンティティの中では譲れない正義が存在していたとしても、相手の文化・宗教を尊重して、自分のアイデンティティの城中に招く器量がマザーテレサにはありました。
ですから、彼女は「死を待つ人々の家」において、臨床にあるイスラム教徒に、「コーラン」を読んで聞かせ、ヒンズー教徒には、「ガンジス河の聖なる水」を灌いで、死者を葬りました。
ここに、マザーテレサが国際社会で成功した秘訣があります。
優秀な皆さんは、将来海外で働くことになるでしょう。さもなければ、日本の将来は存在しません。
これからの国際社会では、皆さんもそれぞれが日本大使と同じ役割を果たさなければなりません。
そんな皆さんが、国際社会に於いてどのように行動するのか、進むのか、迷った時はぜひ、マザーテレサのことを思い出してください。
最後に私が心の糧としているマザーの言葉を紹介して終わりにします。
「世界には、7億以上の子供たちが飢え・病・戦争によって、死の危機にあります。その事実から目を逸らそうとする人こそが、愛から最も遠い存在なのです。愛の反対は無関心なのです。」
-----