アンネのバラ
「人物紹介」
コルベ神父は日本の長崎にも滞在したこともある人です。ポーランド生まれのカトリックの司祭で、第2次世界大戦中、母国ポーランドのあるヨーロッパで、その当時、勢力を伸ばしつつあったドイツ・ナチスの「非人道的行為」に反抗し、人道的立場を貫くために、アウシュヴィッツのユダヤ人捕虜収容所に投獄された人物です。
「収容所の中での出来事」
さて、収容所には、「鉄の規律・掟」がありました。
即ち、「もし、同じ獄舎の囚人が脱獄することがあるなら、囚人を10人選び出し、その10人を餓死刑に処する」というものでした。
ある朝、看守が見回ったところ、一人の囚人が脱獄していることが分かりました。
直ぐに、収容所の所長は、同じ獄舎の囚人を集め、「見せしめ」のために10人を選び出し、「餓死刑」に処することを決めました。
選び出された10人は、顔を青ざめさせ、中には「あぁ、私が死ねば、残された妻や幼い子供たちはどうなるのだろうか。あぁ、死にたくない」と泣き崩れる男もいました。
とその時突然、他の囚人たちの集団の後ろの方から「私がその人の代わりに、刑をうけましょう」と叫ぶ人物がいました。この人こそがマキシミリアン・コルベ神父です。
「伝えたいこと」
私は、コルベ神父の考えると、必ず「挑戦」をうけます。挑戦を受けるとは、「もし、私かコルベ神父の立場に居るならどのようにするか」ということです。
私は、コルベ神父のことを真底尊敬しています。
しかし、彼が「他人の命を救うために自分の命を捨てた」から尊敬するわけではありません。
なぜなら、「友のために命を投げだす」というのは、聖書の教えであり、その教えの基、殉教していったクリスチャンは星の数ほど居ます。
崇高な行為ですが、それだけでは、「石のような冷たい心」しか持たない私を感動させるに至りません。
では、どこに感銘をうけるのでしょうか。2つあります。
一つ目は、「アウシュヴィッツという捕虜収容所の恐ろしい環境」です。極限状態の飢えと寒さ、寝床と言えば、板に藁を引いた一人用ベッドに何人も寝せる。人が人間として扱われず、家畜のように生活させられる場所です。
諺に「貧すれば鈍する」というものがあります。人間は死と背中合わせの極限状態に置かれると、「自分のことしか考えなくなるもの」です。
そんな、環境にあっても、「クリスチャンとして、成すべきことがまだできる」というコルベ神父の信念は、私には考えられないことです。
2つ目は、「餓死刑」という刑の恐ろしさにあります。人間は食べずにいても、ある程度「飢え」は我慢できる動物です。しかし、「渇き」については、人間は我慢できないのです。
「人間は水が与えられないと血管が枯れてくるそうです。血管が枯れ、体が火照る痛みは、耐えられずに、死ぬ前に、人間を半狂乱にしてしまう」と言われています。
現に、この刑がアウシュヴィッツで執行されると、「受刑者の居る地下牢からは、野獣のような、苦しみの叫びが、夜中絶えなかった。」と記録に残っています。
このような中にあっても、コルベ神父は、他の受刑者を励まし、死んでいく者のために、「とりなしの祈り」を施しました。
最後は、生き残ったのはコルベ神父ただ独りになったところで、収容所の所長も根負けして、「早く死なせてやれ」ということで「死の注射」を受け、コルベ神父は亡くなりました。
それでも、「彼の顔は、空のある一点を見つめ、光り輝いていた。」といことが、後に、ナチスの死体処理班の者の証言で明らかになっています。
「学んでほしいこと」
皆さんはコルベ神父のお話を知って、「ドイツ人・ナチスの人たちはなんと残酷なのか」と思うかもしれません。
しかし、ここで学んで欲しいことがあります。
それは、ドイツ・ナチスの兵士たちも「私達日本人と何ら変わらない普通の人たち」なのです。
アウシュヴィッツの兵士たちは、戦争中であっても、日曜日に訪問して来る家族には、「良き夫であり、優しい父親」でした。
また、毎週「クラシックの音楽会」を将校たちは開催していたそうです。
私達と変わらない普通の人が、ただ、戦争と言う名のもとに理性をかなぐり捨て、悪魔のような存在になったのだということを学んで欲しいのです。
しかし、一方で、マキシミリアン・コルベ神父のように、神に似た崇高な人間にも、私達は成れるのです。
では、同じ人間なのに、どうして両者の間に違いが出たのでしょうか。
それは、「心の内面の問題です。良心の持ち方です。」
では、私たちはどうすればよいのでしょうか?
お願い
毎日20秒で良いです。目をつぶって自分の心の中をのぞき込み、「自分の生き方はこれで正しいのか。」と自答してください。
そうするなら、この毎日の黙想は、日々、皆さんを精神的に強め、将来、皆さんの宝となるでしょう。