加 茂 川 か ら 見 た 比 叡 山 京 都
まず、この問題を論じる時に、前もって必要なことは、「グローバル主義」と「国際主義」との違いを、私かどのように考え、定義しているかを、お話する必要があります。
まずは、「グローバル主義」から。現在、私たちの地球は、地球温暖化や核汚染等により、危機に瀕しています。
グローバル化とは、「私達人間は、地球という宇宙船の乗組員で、私たちの地球号が沈没仕掛けている時に、自国の利益だけを追い求める国の組織に拘っていては、私たちの「地球号」は本当に沈没してしまいます。地球の乗組員は、アメリカ人であろうと、中国人であろうと、日本人であろうと、国という概念を捨て、国々が持つ、利己的な国益を捨て、それぞれの国の国民は、「地球人」として、「地球の乗組員」として、一致団結して、「沈没する危機から、地球という宇宙船を救う努力をしなければならない」と定義しております。
それに対し、「国際主義」は、国としてのアイデンティティを大切にします。
それぞれの人格の中心に、「自国の文化を大切にする気持ち」が存在します。
国際社会の表舞台に出て来る人は、自国の文化を愛し、熟知し、他の国々の人々にも、自国の文化を理解させる能力を兼ね備えていなければなりません。
さらに、相手国の文化をも理解し、尊重し、「自分の心という城の中に、相手文化を受け入れる器量の大きさも必要だ」という考え方のことだと私は定義しています。
グローバル主義者と国際人の違いは、「国・文化という枠に対して、どのように対処していくのか」というところだと考えます。
グローバル主義者も国際人も、「自国だけの利己的な国益を追求することは、この地球にとって、また、国際社会にとって、好ましくない」というところは共通点ですが、文化に対する考え方は、相反するところが多々あります。
さて、「グローバルスタンダードは必要か」という問題を下記に述べます。
結論から言いますと、「グローバルスタンダードは必要最小限に留めるべき」というのが、私の意見です。
なぜなら、ほとんどのグローバルスタンダードと呼ばれるものは、「心の奥底で、白人が世界で一番優れていると考える国々、即ち、白人至上主義の国々の考え方」だからです。
しかし、グローバルスタンダード無しでは国際社会は成り立ちません。
国際社会に「競争」という概念が存在する限り、各国が、公平に戦うための「グローバルスタンダードなルール」は必要です。
特に、経済社会の発展のためには、「グローバルな考え方に立つルール」は必要不可欠です。
たとえば、グローバルスタンダードな考え方で、私達日本人も、白人至上主義の国々から学ばなければならない考え方の一つに、「剽窃に対する罰則の考え方」があります。
日本人は、元来、「人の作ったものを模倣する」ということには、「甘い考え方」をして来ました。私が幼い頃は、剽窃をしてしまうと、大人は「それはいけない事」と教え諭すことはしましたが、西洋のような厳しい罰則は存在しませんでした。従って、私のような「昔の日本人気質」を持つ人間と、白人至上主義者が沢山居る西洋の人々では、「剽窃」に対する考え方には、「温度差」が存在します。
西洋では、あらゆる「剽窃」には、罰則が伴います。
例えば、アメリカの大学で、学生が他人の論文を「剽窃」すれば、犯罪とみなされ、退学までの罰則に繋がります。
現代の世界を見渡しますと、国々の中には、他国の技術を簡単に盗み、国際競争に参戦しようとする国もあるようです。このような国が存在するかぎり、「剽窃に対して厳しい罰則を科する」というグローバルスタンダードは必要かもしれません。
しかし、グローバルスタンダードにする必要がないのに、白人至上主義者たちが押し付ける考え方もあります。
その代表的なものに、「クジラ・イルカを食することへの禁止」と「麺類をずるずる啜って食べてはいけない」という、2つの考え方があります。
白人至上主義者も含めて、全ての人間は、豚や牛の命を奪い、生存しています。それなのに、どうして、鯨やイルカの命を奪い、その肉を命の糧とすることがいけないのでしょうか。
白人至上主義者たちの言い分は、「鯨やイルカは知能が高いから」だそうです。
私はこの考え方には、大きな誤りが潜んでいると考えています。
まず、第一に命あるものに、上下はありません。人間は全て罪深い存在です。他の動物の命を犠牲にして、地球上で生き延びている存在です。豚・牛の命も鯨・イルカの命も、どちらも尊い命であって、命の尊さに軽い・重いという比重など、存在しないのです。
国際社会で大切な事は、「それぞれの持つ文化に優劣をつけてはいけない。」ということです。
白人至上主義者たちは、自分たちの文化が一番優れていると考えているので、この原則が理解できないのです。
勿論、鯨やイルカの「種の保存」という観点は、大切で守られなければなりません。
しかし、「種の保存」が考慮されている限り、鯨やイルカを食べるのは、「日本の食文化」なのです。
それは、国際社会でも尊重されるべきものです。
白人至上主義者たちが、「クジラやイルカが、知能が高いから食べてはいけない」という考え方は、「白人の方が、黒人よりも優れているので、白人の命の方が大切である」という考え方と源は同じところから出た発想ではないでしょうか。
白人至上主義者の心の奥底に潜む、最も醜い考え方の一つではないでしょうか。
最近、ある日本の企業中に、「グローバル化が大切なので、麺類を食べる時に音を出すことを禁止し、音を出して食べた社員に、ペナルティを課した企業」があるそうです。
日本にも、そば・うどんという世界に誇る食文化が存在します。
そばやうどんは、音を出したほうが、むしろ、美味しく食べることができるものです。
食する時に大切なのは、味覚だけでなく、聴覚も関係してくるのです。
にもかかわらず、西洋に迎合しやすい日本人の中には、スパゲッティーと同じように、うどん・そばも音を出してはいけないと思う人が出現しています。
これは、大きな誤りです。
確かに、スパゲッティーなどは、日本で食べる時でも、「音を出す」ことに、不快感を持つ人が周りに居るかもしれないので、音を出さない方が良いでしょうが、うどん・そばは違います。味覚・聴覚両方を使って食べる「日本の食文化」の大切な事柄の一つです。
「郷に入れば、郷に従え」です。
外国人も、うどん・そばを食べる時は、味覚・聴覚を使って味わうべきなのです。日本人のように、音を出して食べるべきなのです。
ましてや、「西洋かぶれ」の日本人が他の人がうどん・そばを食べる時に、「音を出すのはエチケットに反する」と言って、叱責するなど、「以ての外」なのです。
国際社会では、経済を中心に、「競争が公平に行われるためには、グローバルスタンダードは必要」ですが、白人至上主義者たちの、「他国文化への干渉」は人権侵害であって、許すべきではないというのが私の持論です。