濁 流 か ら 蘇 る 賀 茂 川 京 都
この記事は、2021年2月4日に発表したブログです。
私は夢で2つの幻を見ました。
一つ目の幻。1984年の出来事。イスラエルの兵士たちが、任務を受けて、国境の警備に向かうため、準備をしています。突然、大きな地震が起きて、近くの家屋が倒れ、多くの一般市民が生き埋めになりました。兵士たちは、上官から待機命令が出ていましたが、一般市民の救出のため、ボランティアとして参加し、軍の施設にある機械・器具・道具全てを駆使して救出作業に懸命です。一人の兵士に、「軍の施設を使う許可を取っているの?」と私が尋ねると、兵士は、「なぜ、必要なの? 今は、目の前の命を救うことの方が大切でしょ!」
この兵士の決断で多くの命が救われました。
二つ目の幻。1995年、日本のある町の出来事。
1月16日。日本の自衛隊の隊員たちが、国際連合平和維持活動任務のための準備を終え、仮眠を取り、次の早朝、最後の点検をしていた時でした。
突然、大きな地震が、関西中心に発生しました。ある町は、家屋が破壊され、至る所から、火事が発生しています。テレビのニュースでその様子を見ていた、ある自衛隊員は、「自衛隊の持つ能力を使えば、消火に役立てるのに。」と思い、上司に相談します。上司は、即座に、「馬鹿者! 自衛隊は命令が無く、かってに動けば、法律で責任を問われることも知らないのか!」と隊員たちに待機命令を出しました。この自衛隊員が、被災者の救出に関わった頃には、ある町は、火事で、壊滅状態、焼け野原になっていました。私は、悔し涙で目が腫れた状態で目覚めました。
もちろん、上記の2つの出来事は、幻であり、事実ではありません。しかし、この2つの幻を通して、イスラエル人気質と日本人気質との大きな違いについて、私は考えさせられるのです。
イスラエルも日本も法治国家です。2つの幻に出て来る、「イスラエル兵士と日本の自衛隊員も、有事の時には、相手国に攻撃を仕掛けることが出来る、出来ないという差はあっても、国民を守る任務に大きな違いが、あるわけではありません。
しかし、同じような災害が起きた時に、イスラエル兵士たちは、上官の待機命令があっても、命令に従わないで、国民の救出を最優先します。一方、日本の自衛隊員は、上司にお伺いを立て、命令に従って、救出許可が下りるまで待機します。
これは、「兵士と自衛隊員との性格の違いで起きたのではなく、国民気質の違いから、結果が違ってくるのだ」と考えられます。
日本は儒教道徳の国です。儒教道徳の国々では、「法の秩序」を守ることが、何よりも大切と小さい頃から教えられます。政治家の中には、国民に多少の犠牲を強いても、「法の秩序」を守ろうとします。
一方、イスラエルは、「一神教、ユダヤ教道徳」の国です。その教えは、旧約聖書中、モーセ5書にありますが、ユダヤ人は、2000年以上もの間、ヨーロッパ社会から迫害を受けて来た民族でもあります。その間、ユダヤ教の司祭、ラビたちが、「モーセの教えからの解釈」をまとめた「タルムード」という、彼らの道徳規範、生活を支えて来た大切な教えがイスラエル社会には存在します。この教えの最も大切な規範の一つは、「同胞の人権と命の尊重」です。
ノーベル平和賞というものが、世界では有名ですが、専門家の中では、「ヤドバシェム」という、ノーベル賞よりも権威があり、名誉とされる、ユダヤ人社会から全世界の中で正義を行った人々に贈られる賞が存在します。
その受賞者には賞金とともに、メダルが贈られるのですが、そのメダルの裏には、次のように記されているそうです。「一人の人の命は、この地球よりも重たい。」と。
ナチス・ドイツによって、ホロコーストの迫害を受けたユダヤ人にとって、命の大切さは、どんな律法りも重たいもので、尊重されるべきものなのです。だから、イスラエルの兵士たちは、上官の命令を無視してでも、目の前の苦しんでいる同胞の命の救出に向かうことができるのです。
時には、自分の命の危険さえ冒して、同胞を救出する英雄も出てくるのです。
それに対して、日本は、周りを海に囲まれ、歴史上、ユダヤ人ほど苦しみを経験したことのない民族です。平和に恵まれた日本人は、「同胞の命の心配」などよりも、「自分の立身出世」を考えることができたのです。そこで培われた考え方が、「責任を問われることのないように、マニュアル通りに行動する」という世渡り上手な考え方なのです。上官は責任を取らねばなりませんが、部下は、マニュアル通りに行動していれば、部下に責任の追及は来ないのが日本社会です。
平和を享受できた過去においては、「マニュアル通りに暮らす」というのは、仕方のない選択肢であったかもしれません。また、「法の秩序が最優先される社会」も、仕方なかったかもしれません。しかし、今は、「コロナ禍」という有事の時代です。この未曾有の禍の中では、「法の秩序の尊重」よりも、「命の尊重」が行われるべきです。
命が尊重されるためには、「法の尊重による法の改正を待っていては、救える命も救えず、手遅れになる」のではないでしょうか。
コロナ禍の中で、重症患者の命を救うことは言うまでもなく、経済悪化で自殺者を出すことを防ぐことも、我々に課せせれた最優先課題です。
この課題を実行するためには、私達国民、特にリーダーとなる人が、素早い決断とスピードある実行力を示す必要があります。
その為には、イスラエルの兵士たちのように、「法の秩序を守る」ことよりも、「人権と命の尊重が最優先となる考え方」が、今現在求められているのではないでしょうか。
さて、イスラエル社会と日本社会の違いを述べる時に、欠かすことのできない事項に、「情報の入手と使い方」の違いがあります。
- イスラエルの情報網は、諜報機関「モサド」を中心に、先進国の中でも、トップクラスであるのに対して、日本は、先進国の中で、最低クラスに属します。 イスラエルと日本の情報力の差は歴然としていて、このコロナ禍の中でも、ワクチンの入手の仕方の差を見ても明らかです。
この差は、日本とイスラエルの歴史的、地理的立場の大きな違いから生まれています。
日本は、周りを海に囲まれ、侵略を受けたことも少ない国ですが、イスラエルは、アフリカ、ヨーロッパ、アジアの3つの大陸の中心に位置し、いつも、周りを、イスラエル抹殺企む国々に囲まれてきました。
現在も、イランを主軸にして、イラク、シリア、レバノンのヒズボラまでの三日月地帯から、自国の心臓部に、ナイフを突きつけられている状態にあります。
この危険な状態を打開するために、イスラエル諜報機関は、フル回転していますが、その一部をコロナ対策に活用するだけで、日本とは天地雲泥の差の素晴らしさを発揮しています。両国が確保しているワクチンの数字を見れば、一目瞭然です。
日本にも、秘密裏に「イスラエルのモサド」にあたる機関は存在するのかもしれません。
しかし、今、「モサド」のような優秀な諜報機関が、日本に存在ても、日本には、それを十分に活用できる政治家も官僚もいないようです。
情報を有効に活用するためには、「インテリジェンスを分析力できる頭脳と能力」が必要です。
現政府のコロナ禍中の政策を見ている限り、政府のどの機関を見ても、イスラエルの政府機関のような分析ができる部署は無いようです。
特に、一番酷い部署は、情報を先取りして生かさなければならない「財務省」です。
日本の財務省の政治家、官僚は、この有事の中でも、「法の秩序」をただ守ろうとするだけで、マニュアル通りにしか動けていないようです。
これは、責任逃れでしかありません。
「海に囲まれているだけで、外圧から日本国を守れる」という時代は、すでに終わりました。
ましてや、コロナ禍という「有事の状態」に在る日本では、イスラエルのような、「情報こそが国を守る最大の武器」となる国にならなければ、生きる道はないと思われます。
そのためには、まず政府に「インテリジェンスを分析出来る頭脳と力を持つ政治家や官僚の出現」が必要です。
国民はそれを待ち望んでいます。