日本人にとってのクリスマスの意味 

f:id:shalom417:20201224162312j:plain

       ロンドンのホテル クリスマスの飾り 2018年


 私達日本人もキリスト教文化の影響大きく受けています。

 例えば太陽暦です。太陽歴は、「BCAD」に分けられますが、「BC、Before Christ略」「ADは、Anno Domini略」で、紀元前、紀元は、主イエスキリストが生まれる前と後という意味です。

 私達が日常使っているも、紀元は、キリストが原点・中心なのです。

 クリスマスエスキリストの生まれた日のことですが、最初のクリスマスは、聖書では、「イエスキリストは小屋生まれた。」記してあります。

 これには、深い意味があります

 当時馬小屋ほど汚く、悪臭のする場所はありませんでしたエスキリスト最も穢れた場所生まれたのです。

 現代人にも「当時の馬小屋のように、穢れた場所」ありますそれは、「心の中」です

 現代人の「心の中」は、「利己主義・名誉欲・憎しみ・妬み・虚栄心、等」、汚いもの満ちていて悪臭を放っています。

 つまり、「当時の馬小屋」は、「人間の心の中」の象徴なのです。

 最初のクリスマスで、礼拝することを許されたのは三人の賢者(知識があるだけでなく、道徳的にも優れた人)と、羊飼い(素朴で正直に人生を歩んでいる貧しい人)だけでした。

 敬虔なクリスチャンたちは、クリスマスにはエスキリスト礼拝しに教会行きます

 それは毎年迎えるクリスマスの日に、自分汚れた心の中、すなわち、馬小屋のような自分の心の中もう一度エスキリスト迎え入れ、「自分主人として受け入れる」ことを決意するのです。

 エスキリスト自分の心の主人である」ことを再認識する日なのです。

 さて、上記のことは「敬虔なクリスチャン」のお話です。

 私達日本人はキリスト教徒とは限りませんから、クリスマスの意味は自ずと違います

 しかし日本のように「商業ベースで、企業が金儲けの手段として使うもの」だと考えるだけでは国際人としては失格です

 若い皆さん国際として、西洋社会では、活躍することはできません

 西洋社会では一般人クリスマスの意味は、「分かち合う日」なのです。

 クリスマスだけは自分だけでなく、他の人思いを馳せる日なのです。

 他の人」とは、誰のことでしょうか。 

 マザーテレサ存命中このような言葉を私たちに残しています

世界には、戦争飢饉で、している子供たち7億人います。この事実から目をそらし何もしない人が、最もから遠い存在です。愛の反対は無関心なのです。」

 現在はもっと多くの貧しい人たち「死の危機」瀕しています

 このような貧しい人々のために働くため、一歩踏みだす日クリスマスです。

 でも、「他の人」とは貧しい人だけの事ではありません

 家族もまた「思いを馳せる大切な人です。

 貧しい人たちに、募金するように家族素敵なプレゼントすることも、クリスマス行う大切なことかもしれません。

 西洋の考え方で大切なことは、「思うだけでは不十分で、自分の足で、一歩を踏み出こと」大事です

 「私には、貧しい人たちに募金するお金もないし、家族に素敵なプレゼントをする余裕もない。」嘆く人がいるかもしれません。

 しかし、そんな人々こそ、本当のクリスマスを迎える資格ある人たちです。

 では、どのようにしてクリスマスを意義ある日にすれば良いのでしょう

 イタリア神父であったアシジフランシス、次の様に、私達に伝えています

「神よ、私があなたの平和の道具となることができますように。

 憎しみのあるところにを、争いのあるところに許しを、絶望のあるところに希望を、

 悲しみのあるところに喜びを、闇のあるところにを、もたらすことができますように

 私に慰められるより、慰めることを、理解されるより、理解することを、愛されるより、愛することを求めさせてください。」

 この言葉の中に「他の人たちに対して、一歩踏み出す方法秘訣があると私は考えています。

 日本人として世界の貧しい人たち向けることは大切です

 しかし思うだけでは、変わりません

 まず、私達は、傍に居る家族に対して、平和・幸福を作り出す道具なりましょう 

 そして自分の家族に起きた平和・幸福を隣に住んでいる人たち、隣人に少しだけ分け与えましょう分かち合いましょう。

 この小さな一歩、一歩大きな世界平和つながっていくのです。

 

これがクリスマスの意味です。