グローバルスタンダードは必要ですか?

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     加 茂 川 か ら 見 た 比 叡 山     京 都

 

 まず、この問題を論じる時に、前もって必要なことは、「グローバル主義」「国際主義」との違いを、私かどのように考え、定義しているかを、お話する必要があります。

 まずは、「グローバル主義」から。現在私たちの地球は、地球温暖化や核汚染等により、危機に瀕しています。

 グローバル化とは、「私達人間は、地球という宇宙船の乗組員で、私たちの地球号が沈没仕掛けている時に自国の利益だけを追い求める国の組織に拘っていては、私たちの地球号本当に沈没してしまいます。地球の乗組員はアメリカ人であろうと、中国人であろうと、日本人であろうと、国という概念を捨て、国々が持つ、利己的な国益を捨て、それぞれの国の国民は、「地球人」として、「地球の乗組員」として、一致団結して、沈没する危機から、地球という宇宙船を救う努力をしなければならない」と定義しております。

 それに対し、「国際主義」は、としてのアイデンティティ大切にします。

 それぞれの人格中心に、自国文化大切にする気持ち存在します

 国際社会表舞台に出て来る人は、国の文化し、熟知し、他の国々の人々にも、自国の文化を理解させる能力兼ね備えていなければなりません

 さらに、相手国の文化をも理解し、し、自分の心というの中に、相手文化受け入れる器量大きさ必要だ」という考え方のことだと私は定義しています。

 グローバル主義者と国際人の違いは、国・文というに対して、どのように対処していくのか」というところだと考えます。

 グローバル主義者国際人「自国だけの利己的な国益追求することは、この地球にとって、また、際社会にとって、好ましくない」というところは共通点ですが、文化に対する考え方は、相反するところが多々あります。

 さて、グローバルスタンダード必要か」という問題を下記に述べます

 結論から言いますと「グローバルスタンダードは必要最小限に留めるべきというのが、私の意見です。

 なぜならほとんどのグローバルスタンダードと呼ばれるものは、「心の奥底で、白人世界で一番優れている考える国々、即ち、白人至上主義の国々の考え」だからです。

 しかしグローバルスタンダード無しでは国際社会は成り立ちません

 国際社会「競争」という概念する限り、各国が、公平に戦うたの「グローバルスタンダードール」は必要です。

 特に、経済社会の発展のためには、グローバルな考え方に立つルール」は必要不可欠です。

 たとえばグローバルスタンダード考え方で、私達日本人も、白人至上主義の国々から学ばなければならない考え方の一つに、剽窃に対する罰則の考え方があります。

 日本人は、元来、「人の作ったものを模倣する」ということには、「甘い考え方」をして来ました。私が幼い頃は、剽窃をしてしまうと、大人は「それはいけない事」と教え諭すことはしましたが、西洋のような厳しい罰則存在しませんでした。従って、私のような「昔の日本人気質」を持つ人間と、白人至上主義者が沢山居る西洋の人々では、剽窃に対する考え方には、温度差」が存在します。

 西洋では、あらゆる「剽窃」には、罰則が伴います

 例えば、アメリカの大学で、学生が他人の論文を「剽窃すれば、犯罪とみなされ退学までの罰則に繋がります

 現代の世界を見渡しますと国々の中には、他国技術を簡単に盗み国際競争に参戦しようとする国もあるようです。このような国が存在するかぎり剽窃に対して厳しい罰則を科する」というグローバルスタンダード必要かもしれません。

 しかしグローバルスタンダードにする必要がないのに、白人至上主義者たち押し付ける考え方もあります。

 その代表的なものにクジラ・イルカ食することへの禁止」と麺類ずるずる啜って食べてはいけない」という、2考え方があります。

 白人至上主義者めて、全ての人間は、豚や牛命を奪い生存しています。それなのに、どうしてイルカの命を奪い、その肉を命の糧とすることがいけないのでしょうか。

 白人至上主義者たち言い分は、「鯨やイルカは知能が高いから」だそうです。

 私はこの考え方には、大きな誤り潜んでいると考えています。

 まず、第一命あるものに、上下はありません人間全て罪深い存在です他の動物の命犠牲にして、地球上で生き延びている存在です。豚・牛の命鯨・イルカの命も、どちらも尊いであって、命の尊さに軽い・重いという比重など、存在しないのです。

 国際社会で大切な事は、「それぞれの持つ文化に優劣をつけてはいけない。」ということです。

 白人至上主義者たちは、自分たちの文化が一番優れていると考えているので、この理解できないのです。

 勿論鯨やイルカの「種の保存」という観点は、大切で守られなければなりません

 しかし「種の保存」考慮されている限鯨やイルカを食べるのは、「日本の食文化」なのです。

 それは、国際社会でも尊重されるべきものです。

 白人至上主義者たちが、「クジラやイルカが、知能が高いから食べてはいけない」という考え方は、白人の方が、黒人よりもれているので、白人命の方大切である」という考え方源は同じところから出た発想ではないでしょうか。

 白人至上主義者の心の奥底む、最も醜い考え方の一つではないでしょうか。

 最近、ある日本の企業中に、「グローバル化が大切なので、麺類を食べる時に音を出すことを禁止し、音を出して食べた社員に、ペナルティを課した企業」があるそうです

 日本にも、そば・うどんという世界に誇る食文化存在します。

 そばやうどんは、音を出したほうがむしろ美味しく食べることができるものです。

 食する時大切なのは、味覚だけでなく、聴覚も関係してくるのです。

 にもかかわらず、西洋迎合しやすい日本人の中には、スパゲッティーと同じように、うどん・そばも音を出してはいけない思う人が出現しています。

 これは、大きな誤りです

 確かに、スパゲッティーなどは、日本食べる時でも、「音を出す」ことに、不快感を持つ人周りに居るかもしれないので、音を出さない方が良いでしょうが、うどん・そば違います味覚・聴覚両方を使ってべる「日本の食文化」大切な事柄の一つです。

入れば郷に従え」です。

 外国人も、うどん・そばを食べるは、味覚・聴覚を使って味わうべきなのです。日本人のように出して食べるべきなのです。

 ましてや「西洋かぶれ」日本人が他の人がうどん・そばを食べる時に、「音を出すのはエチケットに反する」と言って、叱責するなど、「以ての外」なのです。

 国際社会では、経済を中心に「競争が公平に行われるためには、グローバルスタンダードは必要ですが、白人至上主義者たちの、「他国文化への干渉」人権侵害であって、許すべきではないというのが私の持論です。

 

 

 

校長も、政府も、リーダーとしての質は同じです。

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       高野川 と 加茂川 から 鴨 川 へ   京 都

 私が現役教師時代に生徒から、「先生は、えこひいきしますか。」と、よく質問されたものです。

 いつも、私は、次のように答えていました。

 人間ですから、好き・嫌いはあります。好きな生徒が、私に何か頼んだ時には、120パーセント頼まれた事をしてあげたくなるのが人情です。逆に嫌いな生徒から頼まれれば、好きな人にした同じ事を、嫌いな人にするには、何倍ものエネルギーが必要になります。

 私は、教師になって以来、今まで、好きな生徒にしてあげた事を、嫌いな生徒にも、エネルギーを何倍もかけてするように心がけて来たつもりです。また、生徒の成長に必要と思った事は、たとえ、好きな生徒に嫌われても、躊躇わず、与えてきました。」

 さて、若い教師の中にはクラス人数が40人のクラスを担任として、受け持ちになれば、「40人均等に、自分の力分け与えることが、平等だ考える教師が居ますがこれは、大きな誤りです

 今、受け持ちの生徒の中障がいがあり、車椅子利用して学校生活をしている生徒郎君(仮名)が居たします。

 そのクラスで研修旅行に行くことになりました。

 もし、教師が、太郎君に無関心で、40人全員に同じエネルギーしかかけないのであれば、太郎君研修旅行途中リタイアするばかりか命も危うくなります

 もし、担任がね40人一人ずつに愛情関心を持ち、観察しているならば、太郎君他の生徒と同じように研修旅行経験できるためには、担任は、想像力を働かせて健常者である太朗君の友達助け手配し、自分のエネルギーのほとんどを、太朗君に集中させねばなりません。

 それで初めて太郎君は、他のクラスメイト同じ研修ができるのです。

 私の持てる力を100とすれば、100の力を40人のクラス生徒全員に、均等に使うことが、「平等」と、私は考えていません

 私の「平等」とは太朗君のような生徒クラスに居ても、みんなと同じように何でも出来て、また、卒業できることが、真の「平等」だ考えています。

 そのためクラス生徒の中には、1年間「私に何もしてもらったことがない」と考える生徒も出てきます

 そのような生徒たちは優秀な生徒なのです。優秀だから自分自身で成長できるのです。

 私の助けなど、必要なかったのです。

 従って私にとっては、残念なことですが、優秀な生徒は私のもとには、帰ってきません

 それは、丁度雛鳥親鳥のもとを離れ巣立ちする」のと似ているような気がします。

ひな鳥は、巣立ちをすれば親鳥のもと訪れることはありません

親鳥もまたひな鳥を育てることに懸命で、巣立った優秀な子たちのこと思い馳せることはありません

 私の教師としての愛情は、親鳥雛鳥対する愛情似ているのかもしれません。

 私は、40年以上の教師生活の中で、指導者としての、良い校長も、悪い校長も、観てきました

 悪い校長典型「責任自分に来ないように立ち回るため、生徒のためには、何もしない校長」のことです。

 良い校長生徒の安全第一に考え、母校を持って、生徒の成長を優先する校長です。良い校長は、教職員の意見特に、自分の意見とは、反対の者の意見貸し十分賛成・反対意見を戦わせた少数意見であったとしても、自分で責任をとる覚悟を持ってリーダーとして、自分しいと信じた道進む校長のことです。

悪い校長は、多数意見を隠れ蓑にして、責任逃れをして、責任多数の教師たち押しつけます。

 政府のリーダー校長同じです。

 悪いリーダーは、多数意見に従って責任は、自分に来ないようにします。

これでは、国は滅びてしまいます

 良いリーダー第一条件は、自分の国さえよければ良いという愛国心ではなく郷土愛・祖国愛持って命の尊重中心政策を進める人のことです。

 良いリーダーは、校長が全教職員の意見を戦わせ決断したように、意見が出尽くしたところで多数意見従うのではなく自分の信じる道を、責任を取る覚悟で進む人です。

また、議員たちには批判・反対だけさせるのではなく建設的意見を述べさせる人のことです。

国難責任を持って乗り越えようとする人のことです。

 リーダーが選択する時には、大切なことがあります。

それは、道を選択する時動機」です

 良いリーダーは、必ず国民の幸せ安全動機置き、政策を決定して行きます。

 悪いリーダーは、まず、「忖度」から政策を選ぼうとします。大企業圧力団体の利優先して、国益を考えようとします。先に「答え有り」決定しようとします。

しかも、その忖度からの政策に多数決の暴挙でもって、事をすすめようとします好ましくない結果には、責任逃れしかしません

 もしリーダーが自分の信念持って未曾有の国難あたるならば政策があまり有効でなかったとしてもの政策国民の安全と命の尊重という動機から出ていさえすれば国民は、政策批判しかしない野党言うことより政府を支持します。

その政策失敗に見えても動機国民の安全命の尊重からいさえするならば、失敗経験繋がり、その失敗は貴重な将来の道しるべとなるのです。

 生徒賢いです。教師や校長をよく観ています。同様に、国民も賢いということが、どうして、議員や役人には、分からないのでしょうか

政府の出した政策忖度を動機とした多数意見頼りの政策か否かは国民はすぐに判断します。

 国難にあって、リーダーとして先頭に立つ皆様失敗を恐れずに信念を貫き国民守ってくださることを信じます

 

 

コロナ禍の中、「今度は、ローマ法王になった夢・幻」を見ました。

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        ベ ル サ イ ユ 宮 殿  1978年

 正月二日に見た夢では、私は、ローマ法王になっていました。その文字してみました。 ローマ法王の私は、市民に、コロナ禍の中、励ましメッセージを語っています。
 
 本年も、神様の励ましが、貴方方の上にありますように。そして、勇気持ってコロナ禍という大きな試練立ち向かおうではありませんか。

 さて、コロナ禍多くの天変地異、災害は、神様が人間に与える試練でしょうか。

 私は違う断言いたします。

 この地上で悲しい災害「自然の摂理」、すなわち「地球の自由意志と、私は考えます。

 人間を筆頭に、生きるもの全てには、意志があります。

 生きるものの意志尊重して、自由意志生き物にお与えになりました

 そして地球もまた、熱いマグマ循環させる生き物であって、は、「地球が天変地異を起こす自由意志」をも尊重されるのです。

 人間への警告のための、地球自由意志の行使によって、尊い私たちの友の命が奪われているのです。

 ではなぜは私たちの友の命が奪われるようなことを、地球お許しなるのでしょうか

 神の創造物である人間には、地球の起こす自然の摂が、どれたけ非情で悲しい出来事であっても、それを推し量る術はありません

 しかし、人類の歴史紐解くならば、地球引き起こす災いに、人間闘い、挑むことで、自然の摂から学び、また、与えられた禍という試練を乗り越えることによって、多くの事人類は学んできたことが分かります

 ここに、神の意志、御心あるのかもしれません

 聖書は語っています

は、私たちが堪えられないような試練お与えになることはない。」と。

 コロナ禍筆頭原発事故による放射能汚染など、人類が危機に瀕する試練は、自然の摂理でしょうか、それとも、でしょうか。どちらかという事は、人事では推し量れない「神のみぞ知る事項」なのかもしれません。

 しかし、断言できることがあります。

これらの出来事には人類自然・地球支配しようとする傲慢さから、全ての禍が始まっている」と言う事です。

 人類が完全支配を試みた結果人類は、自然が滅亡する瀬戸際まで、地球追い込んでいるのです。

 今、地球上で起きている多くの禍は、「このままでは、地球は滅亡する、地球号という宇宙船は沈没してしまう」と言う、自然の摂理からの、地球からの警告なのです。

 さぁ、今こそ、「人間が地球の支配者である。」という傲慢な心捨て全ての神の創造物とともに生きること最優先しましょう。私達人類環境破壊してきたことを、認めるところから、コロナウイル放射能汚染との戦い始まります

 地球の危機を乗り越える秘訣は、「人類が謙虚になるところ」にあるのです。

 まずは、コロナ禍からの脱却重要課題です。

 ソーシャルディスタンスを全ての人が守るために「マスクの着用」重要です

 信徒の中には「祈れば神様が守ってくださるから、大丈夫だ。」という人もいますが、これもまた、傲慢一つの形です。」

どうして、自分はコロナウィルスに感染しないことが、「神の御心だ」と分かるのでしょうか御心奥深いものです。自分がコロナウィルスに感染しない思い込むこと自身が、一つの過信・傲慢なのです。

 祈りは信仰者にとって、最も大切な行いですが、祈りだけでは、不十分です。旧約の時代考え方ですが、昔、モーセの時代エジプト軍紅海まで、ユダヤの人々追い込まれた時モーセが祈ったから、紅海の海が二つに割れ、逃げ道が開かれたのではありません。モーセが祈り、それを信じたモーセの民が海に一歩を踏み出したので、奇跡が起こり、紅海割れ道が開かれたのです

は、自ら一歩を踏み出す人間答えてくださるお方なのです。

 どんなに、身分高い宗教家であっても、「自分が祈ったから大丈夫だ。」とか、「自分は神様から守られる。」と過信する人は、傲慢のために、反って、コロナウィルスの餌食になる人たちです

信仰者としては、失格です

 祈りの基本は、ゲッセマネでのエスキリスト祈り」が基本です

彼は、罪の盃を飲むことになる十字架避けたい祈りましたが最後は、「父である神の御心のままに」祈ったのです。

この姿勢キリスト教徒の「祈りの基本」です。

 さぁ、今こそ、モーセの時代の人のように最初の一歩を踏み出す人間となりましょう。コロナウィルスと戦う一歩踏み出しましょう

一人一人が、できることをしましょうまず、三蜜避け、ソーシャルディスタンス守りましょう効果があるマスク着用推進しましょう。

は、まず一歩を踏み出せば自ら助ける者答えくださる方です。一歩を踏み出せば、必ずや、コロナウィルスとの戦いに打ち勝つ日到来します。

は、私達が耐えられない試練を、私たちに与えることありません。 

勝利の日目指して、最初の一歩踏み出し、戦いましょう。

 

雄鶏が鳴き、目覚めた私は、見た「第二の夢・幻」をしたためます。

 

コロナ禍の中、「私は政府高官になった夢・幻」を見ました。

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       鴨 川 になる手前の 賀 茂 川   京 都 市


 2021年の初夢です。夢・幻の中、私は、政府のコロナ対策本部長任命された政治家としてNHK全国ニュース利用して、国民に「政府のコロナ禍での方針国民への励ま言葉述べようとしています。

 「国民の皆様、コロナウィルスがさらに蔓延しようとしていますが、本日まず、政府の方針を述べさせて頂きます

 まず自治体と政府の関係あり方ですが、それぞれの都道府県自治におきまして、コロナ禍には温度差があります。

 従って各知事先頭道府県職員最前線を担い自治合った方針出していただき政府は、最前線に居る都道府県金銭面中心に、全面的バックアップフィードバックをするというとします

 しかし、何処にお願いし、また、どのよう補助をするか大きな指針は、政府決定事項であり、本日は、その指針について、周知していただくため、政府責任者として、国民の皆お知らせするとなります。

 まず自治お願いすることは、重症患者のため病床確保ありますこれは、であります

 先程、自治体ごとに、独自で、コロナウィルス感染防止のために戦っていただくことになると申しましたが、感染のピーク迎える都道府県では、単独では、確保難しいかもしれません。 そこで全国をブロックに分け、ブロックごと病床確保をお願いいたします。

ブロックを発表いたします。

 

1. 北海道・東北地区、2. 北陸地区、 3. 関東地区、 4. 東海地区、 5. 近畿地区、 6. 山陽地区、 7. 山陰地区、 8. 四国地区、 9. 九州・沖縄地区。

この9ブロックそれぞれで、モニター知事会を行い、必要に応じて、医療関係者、特に都道府県の医師会の長にもご出席願うことがあります。

 また、各ブロック会議議長政府代表者責務負います。

 日本は医療大国です重症患者まの為の病床数が逼迫している慌てる人たちもいるようですがブロックごとに対応すれば、また、いくつかのブロックが協力し合えば店舗に時短営業をお願いする必要もなくなると考えております。

 ヨーロッパアメリと比べるならば今日本は、「経済を回す」ことが優先されると考えております。

 コロナ感染の多い地域によっては、「時短営業のお願い」することもありますが現在、時短営業をしていただけない店舗増加しているのも事実であります

 これは各店舗が、今までの政策で疲弊し、ぎりぎりの所に追い込まれている。」というでもあります。

 このままでは破産する企業業者・店増えそれに伴い自殺増えるのは、「火を見るよりも明らか」と思われます。

 このような時に「時短営業に協力しない店名前公表するという罰則さらに破産者・自殺者繋がるだけで、不適切極まりない政策と言わなければなりません。

 従って、コロナ禍の中、協力いただけない医療機関の名前公表しないのと同じ様に時短営業ご協力いただけない店舗名の公表絶対にいたしません

 コロナ禍で亡くなる命も経済破綻で自殺する命も、「命の尊さ」ということでは、軽重をつける事項ではありません

 各地方自治体はまず経済を回すこと最優先していただくことをお願いいたします

 その代わりに、自治体には、「医療従事者店舗の賃貸・家賃で生計立てている人達」に目を向けていただきます

 その方々がコロナ禍の中、協力できるように、十分な補助とお金を予算に組み込んで頂くこととなります。

 自治その目的を達成するため政府はその金銭面につきましては、自治体を全面バックアップをいたします。

 財務省の職員や政治家の中には、国家支出必要最小限するべきだ。」という意見述べる者もいますがきな誤りです

 政府しなければならない事「コロナ禍がなければ税金きちんと払えた国民で、現在困窮に追い込まれている方々やかに救済・援助し、コロナ禍前の水準に、社会を戻す事」です

 このような危機的状況で何もしないなら、「何の為の公僕であるはずの官僚でしょうか。議員たちが、今、傍観しているならば、「議員たちは、何の為に選挙国民選ばれたのでしょうか

 お金使わないで「いつ使う」と言うのでしょう

 また、財務省付き顧問学者たちの中には「このコロナ禍を利用して、強い日本に改造しよう。」という意見の者います

 しかしこれも、大きな誤りでしかありません。

 なぜならこのような学者たちは、「ん底追い込まれた中小企業どれだけの人たち犠牲になり、産者・自殺者どれだけ出るかについて、無関心であるからです

 このような意見を持つ学者たちは、きっと、「裕福な家庭育ち過ぎた二世・三世で、貧しさ困窮する苦しさなど、想像できない人たちだ」と、私は考えます

 さて自治は、地域の医療従事者が、物質的にも、精神的にも、働きやすい環境創設する努力をしてください。

 物質面とは、「コロナ禍に挑む医療機関医療従事者金銭面苦慮するようなことがあってはいけません。」ということです。

 コロナに感染した人たちを扱う機関に十分補助を、そして、医療従事者には、それ相応の毎月の給料のボーナス・危険手当等支給してください。その援助政府は出し惜しみしません

 さらに精神面もっと大切です

 医療従事者その家族が風評被害にあわないように、最善の努力必要です

 そして、医療従事者の方々どれだけ尊い犠牲払い苦労しているか、公共放送を使って地域の人々に伝えねばなりません。

 最前線で戦う医療従事者の方々に、感謝尊敬の念を、人々が持てるほど、地域の人々に理解してもらい、また、えねばなりません

 そうするなら、退職しても、いまだ有能医師・看護師たちも意気に感じ、現役の医師・看護師を助けよう立ち上がりコロナウィルスとの戦いに参戦してくれるでしょう。医療現場の人員不足は、この事「最善の策だ」と私は考えています。

 次に自治体・政府一体となり、考えなくてはならないのが、店舗業者いかに守るかです。

 店舗業者今一番苦しめているのは、店舗の家賃です。

 まず自治お願いすることは、コロナ禍の中、店舗業者重たく苦しめている家賃代を、コロナ鎮静化して、コロナ禍以前の水準に近づくまで家賃支払いの猶予免除自治進めることをお願いいたします。

 その代償として家賃で生計を立てている家族従業員生活のための保障を行ってください

 この予算につきましては、政府責任を持ちます。サポートいたします。

 この方策のほうが、むやみに時短営業各店舗に迫って十分な補助にならない額を無数の店舗に支払うよりもより効果的補助できる私は考えます

 また困窮している国民の皆様に対しての税金の猶予・免除も、各省指示し、これから必要に応じて検討していく所存です。

 国民全員が、何らかの犠牲をはらわなければならないコロナウィルスとの戦時中です

 まずは議員からその模範をしめしましょう。

 本日私は政府の責任者の一人として、与野党議員連盟進んで、給料の何パーセントかを、義援金として、自発的に出してくださる募るよう、お願いしました。

 国家代表議員の皆様が、模範を示してこそ国民自粛ができますまた、義援金も集まってきます。

 

 国民の皆様自粛の時です。どうか、お一人筒が感染防止のためのルーを守ってくださいますように。

 政府が今なさねばならない事は、 コロナウィルス感染重傷者から死者を出さないため、最善努力をする事共に経済破綻による自殺者出さない努力が、まず必要と考えております。

 政府は経済再生のための努力最優先課題として取り組みますが、国民の皆様の協力自助力がなければ、とうてい果たせない課題でもあります

 必ず夜明け来ます

その日の為に、一体となって耐え抜きましょう。

 私は、上記の政策より良い政策と考え、提案しておりますが、コロナ禍経験したことのない未曾有の災難です

 何が最善かは、神のみぞ知る事柄です。

 責任を取るべきことは責任を取るということを覚悟しております。

 しかし、政府忖度動機とせず人命の最優先を動機にしているかぎ、結果が思わしくなくても、必ず明日に繋がります

 なぜなら失敗次の経験繋がるからです。失敗をしないと経験は手に入らないからです

 私は、国民の皆様に対して、ここにいます

 責任コロナ禍が沈静化したときに、必要ならば自ら処します

 しかし、コロナ禍が収束までは、政府の責任者として、失敗を恐れずに、己の責務を全ういたします

 国民の皆様、協力しあい、助け合い、収束、勝利の日まで、耐え抜きましょう。」

 とその時

 雄鳥の鳴き声朝の到来を告げます。私は、目覚めて、夢・幻を見た者は、その幻を書きしたためました。

 

 

 

日本の政治家に望むこと。

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      甦 る 松 林   糺 の 森    京 都 市

 

  阿部元首相桜を見る会での、「前夜祭費用の問題」野党の議員たちは、ここぞとばかりに、現内閣の責任をも追及する事がありました。

 大阪府知事はこの事に対して、コメントマスコミから求められた時に、「今は、桜よりコロナでしょう。」と答えたそうです。

  その通りです政治家役割公務員と一緒でなければなりません。まずは、「国民の公僕であるべきです。

 野党阿部元首相追求する裏側にある狙いは、与党責任追及して、自分たちの政権を持つ日を近づけよう」というものでしかありません。

 国民、住民よりも、自分たち優先させていることになります。

 野党議員たちも自分たちに責任が来ないよう、マニュアル通り責任追及しているだけで、パフォーマンスをしているとしか、私の目には映りません

多くの国民も、私と同じ考えを持っていると思います。

 現在、コロナ禍によって、今まで、きちんと納税していた多くの国民苦しんでいるのです

 この状況戦時中変わりません

 戦時中であるならば、各議員は、知事と同じように最前線居るリーダーでなければなりません。

 コロナ禍という戦時中では、野党も政府のすることに、「足を引っ張る」のではなくするなら、「建設的な代替え案」示して国民の前出てくるべきです。

 しかし責任取らせられる」のを恐れてでしょうか与党も、野党も、「国民安心させよう」とする姿勢伝わってきません

 コロナ禍ウィルスとの戦争です。そうであるならば国民選ばれた議員は、最前線ウィルス戦う姿勢国民にもっと示すべきです。

 自分律して議員として恩恵を受ける権利を、自ら放棄しても良いぐらいではないでしょうか。

 弱い立場の国民苦しんでいる時国民助けるために、議員の権利あるのではないのですか

 戦時中に、「議員としての研修」など必要ありません

 コロナ禍のような「まさかの時」のために、あなた方議員は「国民に投票してもらった」のではありません

 国民ご恩返しする気持ち持たないで、いつ議員としての義務遂行するのですか

 財務省官僚・議員お願いがあります。

 財務省影響を与えている学者たちの中には「コロナ禍は、良い機会と捉えてもう少し我慢をして、新しい社会強い日本作り出す機会にするべきだ」という意見を述べる学者たちも居ます

 しかしこれは「大きな誤り」です

苦しんでいる国民蔑ろにして、強い日本社会望むなど苦労知らず御坊ちゃま考えでしかありません

 お金使わないでいつ使うのですか

 将来の心配は現在のコロナ禍治まってから考えることです。

 今、考える事は一つです

 このコロナ禍という戦時中にあって、コロナ禍がなければ誠実に納税できた人々に失業、一家心中などを、おこさせないよに、全力を尽くすことが財務省の責務です

こそこのことを優先順位1位に考えなければならない時のはずです

 私は、京都在住の人間ですが、京都は光都ですから、府政、市政は、コロナ禍対策よりも、経済を回すことに重点を置いてきたのは理解できます

 ですから、この後京都ではコロナ患者増え続ける可能性あることは、誰の目にも明らかでした

 にもかかわらず、コロナウィルス感染を重視して政策を進める大阪よりも、重傷患者のための病床今の時点確保されていないのは、京都市政、府政怠慢と取られても仕方ありません

 しかし未曾有の災難なのですから、神のみぞ知る部分はあるかもしれません

 今でも遅すぎる事など何もありません

どうか、お金をかけて、病床確保医療従事者確保事務方も含んだ医療従事者に対する思いやり予算危険手当ボーナス、医療従事者への偏見・風評被害からの防止策など、あらゆる手段を使って、コロナ対策を講じて、経済まわしてください

 京都観光の町なのですから

 決して他府県参考にして、日和見主義になり、責任逃れをしようとは思わないでください。

 まずは府政・市政に携わることになった、郷土愛と命の尊さを思う気持ちを、自分の中据えてください

決して、支持者顔色見て行動したり、有力者を忖度する必要はありません

 

 日本のあらゆる政治のリーダーの皆様へ

 お願いですから、責任逃れのために、マニュアル通りに動くのは、やめてください

 コロナ禍は未曾有の出来事ですまず、政治家最前線出陣て、自分の身律してください必要ならば、国民・住民安心させるために、自ら犠牲ってください。

 それが、大切な税金で研修を積んできたあなた方の使命です。投票選ばれた皆さんの使命です。

国民・住民は期待しております

 

日本人にとってのクリスマスの意味 

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       ロンドンのホテル クリスマスの飾り 2018年


 私達日本人もキリスト教文化の影響大きく受けています。

 例えば太陽暦です。太陽歴は、「BCAD」に分けられますが、「BC、Before Christ略」「ADは、Anno Domini略」で、紀元前、紀元は、主イエスキリストが生まれる前と後という意味です。

 私達が日常使っているも、紀元は、キリストが原点・中心なのです。

 クリスマスエスキリストの生まれた日のことですが、最初のクリスマスは、聖書では、「イエスキリストは小屋生まれた。」記してあります。

 これには、深い意味があります

 当時馬小屋ほど汚く、悪臭のする場所はありませんでしたエスキリスト最も穢れた場所生まれたのです。

 現代人にも「当時の馬小屋のように、穢れた場所」ありますそれは、「心の中」です

 現代人の「心の中」は、「利己主義・名誉欲・憎しみ・妬み・虚栄心、等」、汚いもの満ちていて悪臭を放っています。

 つまり、「当時の馬小屋」は、「人間の心の中」の象徴なのです。

 最初のクリスマスで、礼拝することを許されたのは三人の賢者(知識があるだけでなく、道徳的にも優れた人)と、羊飼い(素朴で正直に人生を歩んでいる貧しい人)だけでした。

 敬虔なクリスチャンたちは、クリスマスにはエスキリスト礼拝しに教会行きます

 それは毎年迎えるクリスマスの日に、自分汚れた心の中、すなわち、馬小屋のような自分の心の中もう一度エスキリスト迎え入れ、「自分主人として受け入れる」ことを決意するのです。

 エスキリスト自分の心の主人である」ことを再認識する日なのです。

 さて、上記のことは「敬虔なクリスチャン」のお話です。

 私達日本人はキリスト教徒とは限りませんから、クリスマスの意味は自ずと違います

 しかし日本のように「商業ベースで、企業が金儲けの手段として使うもの」だと考えるだけでは国際人としては失格です

 若い皆さん国際として、西洋社会では、活躍することはできません

 西洋社会では一般人クリスマスの意味は、「分かち合う日」なのです。

 クリスマスだけは自分だけでなく、他の人思いを馳せる日なのです。

 他の人」とは、誰のことでしょうか。 

 マザーテレサ存命中このような言葉を私たちに残しています

世界には、戦争飢饉で、している子供たち7億人います。この事実から目をそらし何もしない人が、最もから遠い存在です。愛の反対は無関心なのです。」

 現在はもっと多くの貧しい人たち「死の危機」瀕しています

 このような貧しい人々のために働くため、一歩踏みだす日クリスマスです。

 でも、「他の人」とは貧しい人だけの事ではありません

 家族もまた「思いを馳せる大切な人です。

 貧しい人たちに、募金するように家族素敵なプレゼントすることも、クリスマス行う大切なことかもしれません。

 西洋の考え方で大切なことは、「思うだけでは不十分で、自分の足で、一歩を踏み出こと」大事です

 「私には、貧しい人たちに募金するお金もないし、家族に素敵なプレゼントをする余裕もない。」嘆く人がいるかもしれません。

 しかし、そんな人々こそ、本当のクリスマスを迎える資格ある人たちです。

 では、どのようにしてクリスマスを意義ある日にすれば良いのでしょう

 イタリア神父であったアシジフランシス、次の様に、私達に伝えています

「神よ、私があなたの平和の道具となることができますように。

 憎しみのあるところにを、争いのあるところに許しを、絶望のあるところに希望を、

 悲しみのあるところに喜びを、闇のあるところにを、もたらすことができますように

 私に慰められるより、慰めることを、理解されるより、理解することを、愛されるより、愛することを求めさせてください。」

 この言葉の中に「他の人たちに対して、一歩踏み出す方法秘訣があると私は考えています。

 日本人として世界の貧しい人たち向けることは大切です

 しかし思うだけでは、変わりません

 まず、私達は、傍に居る家族に対して、平和・幸福を作り出す道具なりましょう 

 そして自分の家族に起きた平和・幸福を隣に住んでいる人たち、隣人に少しだけ分け与えましょう分かち合いましょう。

 この小さな一歩、一歩大きな世界平和つながっていくのです。

 

これがクリスマスの意味です。

 

 

 

中村哲氏暗殺、追悼1周年に思うこと。

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          アンネのバラ 京都 嵯峨野教会

 

2019年12月4日、正午前後だったと思います。

 当時英語教師で会った私は、例年3学期の初めに、英語教材として、中村哲氏の伝記」生徒たち学ばせていましたので、教材研究の一貫として、事件直前に、「クリスマスのために、アフガニスタンサプライズ訪問をしていたトランプ大統領の記事」パソコンで検索しておりました。

 その時偶然中村哲「テロによる銃撃襲撃事件で負傷の知らせ」を発見しました。

 当初病院に運ばれた中村哲は、「重体ではあるが、命は別状なし」との報道でした。

 しかし夕方になって、中村哲氏死亡」の悲報飛び込んできました

 私は、「この事実を生徒たちに、どのように伝えるべきか」苦闘、思案したのを、今も忘れることはできません

 中村哲氏は、「20世紀が生んだ偉大な魂」であり、「世界で尊敬される数少ない日本人の一人」であり、「2001年9月11日歴史を変える悲劇計画されたアフガニスタン滞在し、当時タリバン政府と交渉していた数少ない日本人目撃者」でもあります。

 歴史大きく変わっていくのを現地目撃した証人なのです。

 中村氏医師として、イスラム社会で貢献することになります。

 彼の素晴らしい所は、「白人至上主義の人たちとは違い、クリスチャンでありながら、キリスト教文化を押し付けることなくイスラム教の文化尊重できた」ところです。

 「互いの違いから出発し愛・友情・平和等の普遍的価値観について討論できる強い城、アイデンティティ内面に持ちイスラム社会の人々から尊敬の念持たれたところです。

 つまり、彼は「国際人」としての素養身につけていたのです。

 そして強い意志により、清潔な水不足しているために、に逝く多くのアフガニスタンの人々特に供たちのために、まず井戸を掘り、多くの命を助けました

 そしとさらに広大な用水路を完成させ、今では十万の人々の生活を支えることに成功したのです。

 ただ、人間は思うだけでは、不完全です。何も世界はかわりません。

 しかし一人の人間強い意志を持ち、立ち上がった時に、「素晴らしい奇跡」起こるのです。

 この事を生徒たちに伝えずに中村哲氏の偉大さを日本人の心から忘れさせてしまうなら、これは許されないことだ」中村哲氏の偉大さを伝えることが、私の残り少ない教師生活の使命だ」当時は、自分の心に言い聞かせたものです。

 中村哲氏を暗殺した犯人は、まだ判明していません

 本当に「偉大な魂」と呼ばれる人は、全員から愛されることありませんその人が邪魔、敵になる人たちからは抹殺したいと思われる人が本当「偉大な魂」なのです。

 その意味で中村哲は、「20世紀が生んだ最後の偉大な魂の一人間違いありません

 中村哲暗殺した集団もしくは、国はまだ判明していません。

 日本の警察も一年間捜査して、まだ犯人集団を特定できないのは、その集団が、用意周到に計画を練り、暗殺を実した高度な集団証拠です。

 犯人はアフガニスタン復興を望まない集団」の存在します。 

 アフガニスタンの復興を望まない理由2つの可能性があります。

 一つはアフガニスタン作られる「麻薬・アヘン」に関係しているかもしれません。

 もう一つの可能性は、アフガニスタンが豊かになれば、自分たちの、あるいは穀物輸出できなくなことを懸念した集団、もしくは可能性があります。

 しかし、現在どんな圧力がかかっていようともいつの日「歴史」「犯人は誰だったのか」を世界中明確にしてくれることを私は確信しています。

 10万人以上の命を救い数十万の人々の生活を支えた中村哲ですが、ノーベル平和賞受賞することはありませんでした

 もし、彼が、キリスト教社会で同じことをしていたら彼はまちがいなくノーベル平和賞」を受賞していたでしょう。

 イスラム社会、しかも、「9・11のテロを起こしたアフガニスタンでの出来事」ということで、西洋からは、評価されなかったのでしょう。

 これは「彼を評価しなかった、白人至上主義の傲りが、無意識のうちに、西洋の人々の心の中存在する現れ考察します。

「命」尊さキリスト教徒にもスラム教徒にも変わりはありません

 もし西洋の人々命の重たさに変わりはなく「全ての人の命は、この地球より重たい」と信念あったなら中村哲ノーベル平和賞」を受賞していただろうと私は思います

 中村哲氏が暗殺されたことで、アフガニスタン復興」は、確実に遅れることになるでしょう。

 しかし、しかし、アフガニスタン心ある人々」が、中村哲氏の意志継ぎ、1964年、東京オリンピック当時の「に包まれた、豊かな農業国」として、復活ること私は確信しています。

 なぜなら中村哲は、アフガニスタンの人々心奥底「いつまでも消えない灯火偉大仕業を、もうすでに成げてしまっているからです。

中村哲氏のご家族と関係者の皆様に神様からの慰めがありますように。

 中村哲偲んで一筆残します