パレスチナ・イスラエル紛争の真相 私はまた夢・幻を見ました。

 

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          青紫陽花の花言葉は「忍耐強い愛」


     この記事は、2021年6月12日に発表したブログです。

 

 私は、夢の中で、今度は、全国ネットの朝のニュース番組のキャスターになっていました。

 今回のパレスチナイスラエル紛争の真相について語っています。

 

 さて、朝も夜も、パレスチナイスラエル紛争について、マスコミは報道しておりますが、どの報道も、勉強不足なキャスターの偏見に満ちた報道でしかないことに、「やはり、日本のマスコミは、ある一面だけを取り上げ、国民の世論を煽る扇動者でしかない」ことを確信いたしました。

 日本の全ての報道は、「弱者、パレスチナをモンスターの強者イスラエルが攻撃」とイスラエルを非難しております。

 しかし、事実は違います。今回の件は、「確かに、紛争のきっかけを与えてしまったのは、ネタニヤフ・イスラエル首相ですが、紛争を先に起こしたのは、イランの支援サポートを受けた、テロ組織、ハマスです。

 テロ組織、ハマスの紛争を起こさねばならない動機は、「元アメリカ合衆国大統領トランプ氏によって、エルサレム問題というパンドラの箱が開けられて以来、

世界から孤立して行くパレスチナ難民に、再び世界の関心と同情を取り戻すために仕掛けられた紛争だ」と認識する必要があります。

 イスラエルの国土は、本当に狭いです。日本の四国程度の大きさしかありません。

 しかも、細長く、場所によっては、幅30キロ程度しかない場所もあります。一瞬の間に、領土を失ってしまう広さです。

 しかも、建国以来、イスラエルユダヤ人の生存権を認めない国々や、テロリストたちに囲まれ、

 イスラエルは、「まるで、自分の心臓にナイフを突きつけられた」状態なのです。

 それは、今も変わりはありません。

 誰でも、自分の心臓にナイフが突きつけられれば、それを取り払おうとするのが、血の通った人の反応です。

 イスラエル生存権を今でも認めないイランをリーダーとするイスラム諸国は、テロ組織、ハマスを支援して、四国程の狭いイスラエル領土に4000発以上のロケット弾で攻撃したのです。

 イスラエルは今回も、自分に向けられたナイフを取り払おうとしたのです。

 日本のマスコミは、その紛争で大きな損害を被ったパレスチナの人々に同情して、イスラエルを非難します。

 しかし、日本のマスコミは、もっと深い真相を報道して、国民に真実を知らせるべきです。

 一番非難されるべきは、テロ組織、ハマスの「人命の尊さ・人権よりも、政治・宗教における正義、聖戦を優先させる、悪魔のような仕業」です。

 日本の一部マスコミは、「ガザ地区防空壕はない」と報道しておりましたが、それは真実ではありません。

 ガザ地区の地下には、我々の考えられないような、地下通路が完成させられていて、

パレスチナ国民の命を優先する意志が、テロ組織、ハマスにあれば、あんなにたくさんの犠牲者が出ることはなかったのです。

 それどころが、ハマスは、「人命の尊さ」よりも、「イスラム聖戦の正義」を優先して、

マインドコントロールした一般市民の中から、母親や少年、少女を募り、軍事施設の要所に「人の盾」としてさえ使います。

 同胞の仲間の命を犠牲にして「世界の関心と同情」をひく為です。

 ハマスには、前科があります。かつて、ガザ地区イスラエルを分ける壁が存在しない時、人の行き来が自由であったので、イスラエル国内で、頻繁に自爆テロが行われる時期がありました。

 それまでのテロ活動は、カバンに時限爆弾が仕掛けられる程度のテロでしたが、テロリストたちはさらに恐ろしいテロ活動を生み出します。

自爆テロ」と言って、マインドコントロールした人を募って、体に爆弾を巻き付け、自爆させるのです。その方法は、さらに悪辣・非道を極めます。

 自爆する人にわざと「エイズ患者やC型肝炎患者」を使い、爆発で死者を出させるだけでなく、怪我をした被害者全員を抹殺しようというものでした。

 テロ組織、ハマスは、自爆テロを引き起こし、死亡した犯人を「殉教者」と称して、死亡した犯人に代わって、その家族を養い、保護します。

 キリスト教にも殉教者というものが存在します。

 しかし、テロリストたちが言う「殉教者」と、キリスト教の殉教者とは、天地雲泥の差が存在します。

 キリスト教では、自殺は、他人を殺害するのと同様に、犯罪と考えられますが、ある一つの場合のみ、「自分の命を捨てて良い場合」が存在します。

それは、自分の命を犠牲にしないと、他人の命が救えない場合、他に選択肢が無い場合のみ、自分の命を捨てて、他人の命を救うことができます。

キリスト教では、これを最も崇高な行為として、殉教と呼びます。

 従って、「自分の命を犠牲にして、他人の命まで奪う」テロリストたちの行為とは、悪魔と天使ほどの差がある行為なのです。

 日本の不勉強なニュースキャスターたちは、「イスラエルが土地を占領している」と非難し、「イスラエルが悪い」と簡単に国民世論を煽りますが、

 これは、公平な報道ではありません。

 イスラエル生存権を認めない周りの国々との間で、イスラエルは過去何回かの戦争をしなければなりませんでした。

 その戦争ごとに、占領地の面積は防衛のため大きくなりました。土地が奪われたのは、パレスチナの人々が、周りの国々の口車に乗って、イスラエル抹殺のための戦争に加担し、敗走したからです。

 つまり、全ての戦争は、パレスチナイスラム諸国から先に仕掛けられ、その為に土地を失ったという事実を日本国民に報道しなければ、公平な報道とは言えません。

 それでも、イスラエルは、1968年「六日戦争」で占領したシナイ半島を、「イスラエル生存権」を認め、国交を樹立したエジプトのサダト大統領には返還しています。

 この事をなぜ日本のマスコミは、報道しないのですか。占領地は、イスラエル生存権を認めずに、イスラエルを滅ぼすために、戦争をしかけ、敗戦した代償であることを、イスラエルを非難する前に、先ず日本国民に知らせるのが正しい報道です。

 さらに、「占領地問題」には、複雑な事情が増し加わっています。

 パレスチナの人々が占領地から敗走した後、荒れ果てた土地を、緑の豊かな土地に変えたのは、ユダヤ人たちなのです。

 アラブ人の人々の前に、ユダヤ人が所有していたという事実だけでなく、もはや、占領地は、「ユダヤ人たちの血と汗と努力の滲む土地」なっているのです。

 イスラエルの人々にとっては、「手塩にかけて育てた土地」なのです。

ここには、「生みの母親、育ての母親」の問題が存在するのです。

 もし、「育ての親」で、自分が立派に成長させた子供の前に、生みの母親が急に出て来て「その子は、私が生んだ子供です」と言われ、「はい、そうですか」と、直ぐに、手塩にかけて育てた自分の子供を渡してしまう親などいるでしょうか。

 パレスチナを含む、周りのイスラム諸国が、イスラエル生存権を認めないため、イスラエルが防衛の為に占領地を支配する時間が長く続き過ぎました。

 この事が、さらに、占領地返還を困難にしている原因です。

 パレスチナの人々は、周りのアラブ諸国と共に、イスラエルユダヤ人抹殺のため、戦いを挑み、どの戦争でも敗走して、土地を失って来たのです。

 パレスチナの人々を非難する気持ちは毛頭ありませんが、もし、パレスチナの人々が、周りの諸国の口車に乗らないで、イスラエルとの共存を認め、過去のどこかで平和的解決をしようと望んでいたなら、今の様な現状はなかったでしょうに。

 イスラエルの挨拶は、「シャローム」という言葉を用います。この言葉の意味は「平和」です。

 実は、イスラエル民族ほど平和を愛し、求め、平和に飢えている民族は居ないのです。 

  しかし、生存権を認めない国々が周りに居て、自分たちの心臓にナイフを突きつけられている限り、軍事的優位を崩すわけにはいかないのです。

 ところが、今、その軍事バランスが壊されようとしています。ハマスヒズボラ(レバノン側のテロリストたち)を支援しているイランが、「三日月地帯(イラン・イラク・シリア・レバノン)」を支配下に置き、核兵器を所持し、革命以来の外交目的である「イスラムエルサレム奪回」を目指して、イスラエルとの直接対決の聖戦に望もうとしています。

 世界は、イランに、この目論見を許してはいけません。

 このままでは、近い将来、双方の民族から夥しい血が流されてしまいます。また、この戦いは、もう一つの世界大戦に繋がることは、火を見るよりも明らかです。

 イラン革命で、イランに、イスラム専制君主国が誕生して以来、イランの指導者たちは、「パレスチナに居るイスラエル民族を地中海に叩き出し、エルサレムを奪回する」と公言して来ています。

 これは、イスラエルにとっては、「宣戦布告」でしかありません。

「子供たちが教育を受けられ、家族と共に笑いのある団欒を持てることが平和」とするならば、今、世界は、イランの野望を捨てさせる必要があります。イランにイスラエル生存権を認めさせるのが、中東の安定にとって絶対必要条件となります。

 しかし、それでも、パレスチナイスラエル問題、特に、エルサレム問題は解決しません。

 パレスチナイスラエルとの間にある「憎しみの連鎖」は、日本人には、理解しきれないほどの恐ろしい深さが存在するです。

時間の経過だけが解決できる要素ですが、今は、時間さえ、さらに、お互いの憎しみを増長させるだけのようです。

この問題は、歴史書である「聖書」に書かれている様に、「もはや、人々は戦いのことは学ばない。人々は、武器を犂や桑に変えて、もはや戦うことは学ばない」という「千年時代(ミレーニアム時代)が到来し、イスラエルパレスチナの両民族が憎しみを捨て、エルサレムを首都とし、両民族が、お互いの文化を尊重して、一つの国を創り出すまで、解決しない問題なのかもしれません。

 最後に、不勉強な日本のニュースキャスターに言いたいことは、パレスチナイスラエル問題は、安っぽい判官贔屓で、「パレスチナ側を弁護し、、イスラエルを非難する問題」ではなく、

どちらの民族も絶望の淵に居て、政治では、もはや解決しない問題」なのです。

 私達日本人が、どちらかの民族を非難するような、簡単な問題ではないのです。

 非難するとするならば、「人の命の尊さよりも、宗教・政治的正義を優先させ、マインドコントロールして人の命を弄ぶテロリストたち。そして、さらに、その原因を創った「エルサレム問題」というパンドラの箱を開けてしまった、元アメリカ合衆国大統領、トランプ氏」だけです。

 私達、日本人は、パレスチナイスラエルの両民族の為、平和・平安を祈り、見守るしか手立てがない問題なのです。

 

私の頬から一筋の涙が流れました。その冷たさで、私は、夢・幻から目覚めました。

 

 

イラン対イスラエル 最も危険な戦い

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     イスラエル側から見た死海 マサダの遺跡より 1979年

   この記事は、2021年4月22日に発表されたブログです。

 

1978年まで、イラン中東におけるイスラエル唯一の友でした。パフレビー王朝時代、イランは、イスラエル危機に陥った時も、石油イスラエルに送り続けたものでした。

 ところが、1978年パレスチナアラブ人エリート助けにより、フランス命していた、シーア派のホメイニ氏指導の下、イラン革成功させ、パフレビー王朝滅亡した後は、イランは、イスラエルにとって、最大の敵してしまいました

 「イラン対イスラエル」の戦い中心エルサレム問題」ですイランをはじめ、シーア派の人々にとって、「エルサレムの異教徒からの解放」は、自分の命よりも大切な課題であり、今でも毎日の祈りの中心で在り続けていますイランの政策は、全てエルサレムの解放」のためであり、その為の戦い「ジハード・聖戦」となり、どんな犠牲を払ってでも、実現させなければならない一生の目的なのです。また、エルサレム解放を成し遂げた者は、イスラムの盟主成れるのです。

 一方、イスラエルにとって、エルサレムはただ単なる首都ではありませんユダヤが国家を創設して以来、エルサレムは「変わらない永遠の都」であり、「聖地嘆きの壁があるエルサレムは、心の拠り所でもあるのです。

 エルサレムは、国家が復活するまでの2000年の間、ユダヤ人が生き抜いてくるための「シンボル」として存在して来ました。

 従って、イスラエルが、エルサレムを首都とするのは、日本人にとっての首都・東京への思いとは、「次元の違う思い」があり、エルサレムを守ることは、先祖からの伝統を伴う「使命」であり、エルサレムは、ユダヤ人にとって、「永遠の恋人」という存在となるのです。

 即ち、、エルサレムを死守するためには、イスラエルはどんな犠牲をも厭うことはないのですエルサレムは自分の命をかけても守る価値のあるものなのです。

 ホメイニ氏の下、イランシーア派の人々エルサレム解放の戦い」は、イラン革命勃発後、内戦・拡張の時代も通して、現在に至るまで首尾一貫した政策でした。

 特に、アメリカ合衆国オバマ氏が大統領であった時代に、イランは、「エルサレム解放の戦い」を大きく進展させることになります。

 「平和利用」と宣言するも、抜け道が多くある「イランの核開発」に、合衆国大統領であったオバマが、合意してしまい、イランは、核兵器をいつでも所持できる状態に、近づくことができました。また、経済的にも楽になったイランは、影響力を及ぼせる「三日月地帯(イラクシーア派・シリア、アラウィー派レバノンヒズボラ)」完成に、一歩手前まで近づくことができました。

 イランは、北朝鮮とは、蜜月の関係にあります。即ち、核とミサイル開発は、協力関係にあります。

 従って、「核合意」をしていても、北朝鮮核兵器を持った同じ道を、イランは必ず辿ります

 このままでは、何れは、イランが核兵器を持つことは、間違いないでしょう。

 我々日本人は、北朝鮮とイランに、核兵器を持たせない為、あらゆる外交努力をしなければなりません。

外交努力とは、制裁も含まれます

 「三日月地帯」の完成にも、その当時、合衆国大統領であったオバマ氏に責任があります。歴代のアメリカ合衆国大統領の中で、オバマ氏ほどの人格者は今まで無かったでしょう。現代歴史を紐解いても、彼ほど、「平和」を口にして、外交を進めようとした大統領は無かったでしょう。

 しかし、「平和」というものを「争わず、殺し合わないで、家族が豊かにに暮らせること」と定義するのであれば、オバマ氏の大統領として決定したことは、殺し合いを生み出し、世界で最も多くの血が流される要因となりました。

 オバマ氏の考え方は、「アメリカの名誉ある孤立主義」に近い考え方です。アメリカの若い兵士たちの血が、他国で流されることを嫌ったオバマ氏は、中東の国々からの撤退を実行しました。

 イラクは、サダム・フセイン大統領が恐怖政治で、統治していた時代、少数派のスンニー派が政権を把握していました。

 しかし、フセイン大統領が失脚後多数派であるシーア派が、選挙で政権を取りますが、それまで政権を取っていたスンニー派の人々に対する報復が始まります。

 「選挙で選ばれた多数派が政権を取れば、民主主義の国が生まれる」という西側諸国の甘い思惑は、木っ端微塵に打ち砕かれてしまいます。

 多くの血が流れ、新たな憎しみが生まれ、その憎しみは、イスラム国」という悪魔・サタンが生まれる要因となっていきました。

 シーア派が政権を取ったので、同じシーア派イランの影響力はさらに、大きくなりました。

 シリアは、もともと、スンニー派の人々が多数派の国ですが、その当時も、今も、シーア派に近いアラウィー派のアサド大統領が政権を握っています。

アラブの春の運動により、シリアは、イラクと真逆に、多数派であるスンニー派が政権を取るはずでした。

 ところが、当時、アメリカ合衆国大統領オバマ氏は、アメリカの中東での影響力をここでも放棄してしまいます

 そこに、専制君主国である、ロシアとイランが入り込み、アラウィー派のアサド氏をそのまま、傀儡政権として残し、イラクを裏から操る国となっています。

アラブの春」と呼ばれた民主主義の波は、イスラエルが予言していたように、「アラブの冬」を生み出し、スンニー派シリア人の多くの血が流され、過去にも例のない悲惨な「シリア難民」を生み出すことになります

 自国の利益のみを追求し、中東に対する無関心・無知のために、当時のアメリカ合衆国大統領の決定が生み出した悲劇です。

 アメリカが「世界の警察」としての役割を放棄してしまったことで、世界のバランスが崩れたのです。

 当時、副大統領であったバイデン現アメリカ合衆国大統領にも、大きな責任があります。

 ロシア・イランと並ぶ専制君主国である中国が、近隣のアジア諸国に圧力をかけるきっかけを作ったのも、中東での、アメリカの無関心・無知、「世界の警察官としての役目放棄」が原因です。

 そして、中国、イラン、ロシアの専制君主国の拡大政策を勢いづかせる要因でもあることを、全世界の人々は知るべきです。

 元々、イスラエルにテロ行為を行って来た「レバノンヒズボラ」を含んで、イランは、三日月地帯を完成させ、「エルサレム解放のためのジハード・聖戦」を開始できるようになったかに見えます。

 現在は、イスラエルとの直接対決ができる直前なのです。

 イスラエルにとって、「三日月地帯の完成」「イランが核兵器を保持すること」は、イスラエルを人間に喩えるなら、「命を狙う盗賊によって、自分の心臓にナイフを突きつけられた状態」と等しいことになります。

 「どんな人でも、命を狙う盗賊にナイフを突きつけられれば、そのナイフを必死に振り払おうとする」のは、自明のことです

 おそらく、イスラエルは自分に突きつけられた「ナイフ」を、全ての手段を使って振り払おうとするでしょう。

 イランが「核兵器」を保持することになれば、瞬時に、サウジアラビアは「核兵器保持国」に変貌し、イランとイスラエルに方向を向けて、自国の核ミサイルを設置するでしょう。

 中東は、「混沌とした三つ巴の争い」となり、最も危険な「世界の火薬庫」となります。

 我々日本人は、北朝鮮に「核兵器廃棄」を迫り、イランに北朝鮮と同じ道を歩ませないため、あらゆる平和外交を行使しなければなりません。

 中東での紛争は、日本に物資輸送を困難にさせるだけでなく世界を破滅させる世界大戦に繋がっているからです。

アイデンティティ NO.2  若い教師の皆様へ

      希望の約束の象徴 「虹」

 

 私がどのように、在日韓国・朝鮮の生徒たち接して来たかを、ご紹介することで、若い教師の皆さんに役立てばっています。 

 日本はご承知のように、大和民族アイヌ民族・沖縄民族・中国民族・韓国・朝鮮民族等が国民として存在する多民族国家です。ただ、大和民族以外の少数民族の方々に、私達、大和民族と同じ権利が与えられているとは限らないのが、日本の現状です。

 在日韓国・朝鮮民族の方々は全国に居られ、関西では、特に、他の地域よりも多く居られます。

 担任をしていれば、必ずクラスで在日韓国・朝鮮民族の生徒たちに出会います。

 この生徒たちに、アイデンティティ」について相談に乗ることや、サポートすることは、担任の大切な仕事です。

 在日韓国・朝鮮民族アイデンティティは、2つの両極の間の何処かに位置することになると私は考えています。

 一つ目の極は、多民族国家、日本の一員として生きる。」というものです。

 しかし現在、日本は、少数民族の方々にとって、暮らしやすいとは絶対に言えない社会です。心ある大和民族の人協力して、「日本をさらに良い社会にしよう。」という生き方です。

 もう一方の極は、「自分たちのルーツである朝鮮半島が現在不幸な状態にあります。日本に居住し、半島の平和統一に重点を置きながら生きる。」というものです。

 私はいつも、在日の少数民族からの生徒たちに「私は大和民族の人間なので、日本人として一緒に理想の国家を築いて行ってほしい。」私の我が侭な願い伝えますしかし、それ以上の介入は厳禁です。

 なぜなら、生徒がどのようなアイデンティティを持つかは、家族の伝統・意見まえて、それらを熟慮して、本人自身が決定しなければならない事柄だからです。

 本人が自分の生き方を明かしてくれたり、悩みの相談を受けたりしたら、その時は、担任の出番です。励まし、サポートしてあげれば良いのです。

 若い先生方参考になればと思います。

 

 

 

 

 

心の拠り所、 アイデンティティとは? NO.1

 

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           濁流から蘇る加茂川 京 都

 

 

 学生時代、教育学部に居た時、私の師匠にあたる教授は、「帰国子女研究」の専門家でしたので、イデンティティ(Identity)という言葉は何度も耳にしていました。しかし、本当にその意味を初めて深く知ったのは、3回生の時、卒論の研究のために、イスラエルに滞在した時でした。

 私は、貧乏学生でお金がなかったので、キブツという集団農場に滞在していました。イスラエルでは、男女皆兵制による労働力不足のために、7時間労働しさえすれば、外国人でも、ボランティアとして、「衣食住」が無料配給されました。しかも、大きなピザとコカコーラか2回買うことができるほどの「お小遣い」も貰えました。

 キブツからエルサレムに在るヘブライ大学へ出て、「卒論のデータ集め」する日は、朝の4時から11時まで働き、キブツの食堂で昼食をとった後、大学の図書館に行くという生活です。

 そんなキブツの中に、佐藤さん(仮名)という日本人家族キブツの正規メンバーとして働いておられました。

 佐藤さん夫婦が私の面倒をよく見てくださったのです。当時、佐藤さん夫妻には、生まれたばかりの男の子と小学校に入学したばかりの大和君(仮名)、2人のお子様が居られました。大和君は、イスラエルの公立の小学校に通っていました。

 イスラエルユダヤ人の国ですから、ヘブライ語での授業ですが、どの学校も、世界のどの国にも劣らない、教育レベルの高い学校でした。

 しかし、ご存知のように、当時イスラエルは、周りを敵国に囲まれているので、団結しなければ、直ぐに滅んでしまう状態でした。

 その為、大和君の通う公立の小学校に於いても、ユダヤ人としてのアイデンティティ教育く、日本人である大和君をもユダヤ人に取り込むほどの強烈なものでした。

 その為、「大和君が日本人として育って欲しい」と願っておられた佐藤さん夫妻は、大和君の日本語の家庭教師役を私に頼まれました。

 少しでも、佐藤さん夫妻に恩返しができればと思い、日本語家庭教師をすることを引き受けたのですが、大和君に教えることは、困難を極めました

 大和君は、家庭に於いては、日本語を話すように両親から指導されていましたが、幼稚園・小学校に入る頃には、ヘブライ語が脳を支配する第一言語になっており、感情が高ぶった時などには、両親に対しても、ヘブライ語でしか、話そうとはしませんでした。

 大和君にとって小学校ヘブライ語の宿題だけでもたいへんなのに、夜8時から始まる私との日本語の勉強は苦痛でしかなかったはずです。

 当然、当初は、日本語の勉強が上手くできませんでした。

 私は「どうしたら、大和君の日本人としてのアイデンティティ築くことが出来るのか。」真剣に模索しました。

 私が出した結論は、「私が日本人の良さをキブツ全員の住民に示し、大和君に日本人の素晴らしさを間接的に悟らせること」でした。私は、大和君と一緒に居る時はできるだけ、「背伸び」をして、キブツの人たちに、日本人の誠実さ・時間厳守で素早く仕事を完璧に成し遂げる姿せて、キブツ の人たちから、大和君に、「日本人は素晴らしいね」と言わせる手段を取りました。

 この方策が功を奏しました大和君は私に、少しだけ敬の念を抱いてくれました

 「自分も日本人なのだから、日本語がかけるようになりたい。」と思ってくれるようになったのです。

 現在、大和君は、イスラエル日本との「素晴らしい友好の懸け橋」としての役割担い、活躍しておられます。

 日本は周りを海に囲まれて、あまりアイデンティティを意識する機会には、恵まれていません

 しかし、私はイスラエルでの生活によって、アイデンティティ」とは何なのか深く考える機会たようです。

 日本に帰国した後、教師になった私は、さらに、「帰国子女とアイデンティティ」に問題意識を持つようになりました。

 そしてさらに、クラスの生徒たちと生活を重ねるうちに、また、別の「アイデンティティ」の問題意識が、私の心に芽生えました。

 それは、在日韓国・朝鮮民族の生徒たちをどのようにサポートするのかという課題でした。この件につきましては、第2章でお話し、特に若い教師の皆さんに語りたいと願っています。

 

 

岸田首相は、歴代総理大臣の中でも最低ランクです。

         日 本 の 夕 暮 れ      岡  山

 岸田総理大臣は、遣唐使と呼ばれているそうです。政治圧力団体に「敵」を作らない為物事を決断しないで、先送りするために、「検討して参ります」と言う言葉を連発するからです。

 日本国は、現在コロナ禍の有事にあります。「有事」の場合、戦争禍、ウクライナのゼレンスキー大統領の様にリーダーは、即断・即決が必要不可欠です。

 日本も、「コロナウィルス、ケンタウロス株」感染拡大を受けて、岸田首相は、「決断の時」を迎えているにもかかわらず、即決は何もしないで、「検討して参ります」と決断を先送りにしています。

 岸田首相は、腐敗した日本政治の象徴のようなリーダーです。失敗を恐れて、何もしようとはしないで政治家なのです。「良い政治家」の条件は、「失敗を恐れない事」です。失敗をしなければ、成功に到達できないからです。

 しかし、日本の政治家のほとんどは、「自分の責任で失敗し、責任追及を受ける事」恐れて、何もしないのです選挙の結果だけを気にしている彼らは有力者・圧力団体の中に、敵を作りたくないからです。

 すなわち、政治家の本分である「国民の為に力の限り尽くす」という情熱が皆無であり、自分の地位保全の事しか眼中にないのです。

 政治家が決断しないので現在、日本では、ケンタウロス・コロナウィルスの為、医療逼迫を迎えようとしています。感染者の爆発的増加の為、「病床が足らなくなる」、或いは、「医療従事者の数が足らなくなる」と言う事が起きようとしているです。

 今、日本のリーダーがしなければならない事は、コロナウィルスを感染症に於いて、2類から5類に移行させる事」です。

 感染症5類に移行させるならば濃厚接触者の隔離が必要なくなり、医療従事者不足を防ぐことができます。病症も一般病床が使えるで、病床不足を解消できます。

 インフルエンザでも、高齢者は、弱った体のため、他の病気を併発し、重症になったり、死亡したりしています。しかし、コロナウイルスケンタウロス株の重症率・死亡率は、共に、今は、インフルエンザ以下です。しかも、感染症2類から5類に移行すれば、高齢者を見ることができる医療従事者が増えますから、死亡率はさらに減ります。

 では、何故、岸田首相は、2類から5類の移行を決断できないのでしょうか。それは、コロナ禍を利用して、税金を食い物にしている人たちが、政府への圧力団体として、暗躍しているからです。

 たとえば、PCR検査を利用して、お金儲けしている人たちがいます。

 私は、医療従事者で、コロナ禍の中、国民の為、ウィルスと闘っている人たちを尊敬しています。

しかし、PCR検査をすると、一人あたり、国から税金3000円が支払われるため医療機関の中には、500円の商品券を渡して、PCR検査者をかき集めて、お金儲けをしている医療機関存在すると言うのです。

 500円の商品券目当てに、3日に1度検査が受けられるので、何度も検査を受ける不心得者も居るそうです。

 岸田首相は、コロナ禍を金儲けの手段と考えている圧力団体の中に、敵を作りたくないから、感染症2類から5類に、コロナを移行させるのを躊躇しているのです。こんな首相は愚かとしか言いようがありません

 さらに、「岸田首相が愚かだ」判断するのは、日頃、「検討使」と揶揄されている人が、「阿部元総理大臣の国葬」は、即決した事です

 阿部元首相が、「国葬」に相応しいか、相応しくないかを、私は言及するつもりはありません。その様なことを議論することは、「死者に鞭打つことになる」からです。

 しかし、国葬を行うとなると、世界から、多くの要人たちと、要人のための夥しい数の関係者が、日本に迎えることになります

 日本は、コロナ禍でたいへんな最中彼らを安全に護衛し、宿泊させるには、「用意周到な警備」が必要になります。

 岸田首相は、後先の事を考えずに、「国葬」を発表したのではないでしょうか。

 しかも、日本の政治家、阿部氏すら、護衛出来ない現状で、日本政府は、どのように、テロから安全を確保できると言うのでしょうか

私は、疑問符を打たせていただきます

 私の目には、岸田首相は、国葬」を利用して政治家として、パフォーマンスを行い、世界に岸田首相の名を認知してもらおうとしているように見えます。

 いずれにしろ、コロナ禍の日本において、「国葬」を行うには、十分な計画が必要です阿部氏の時のように、招待状を送った要人にテロが起きてしまえば、「日本の恥」だけではすみません。

 岸田首相、日本にとって、コロナウィルスを2類から5類に移行させることは、国民にとって、必要不可欠の重要事項です。しかし、阿部氏の国葬は、必要不可な事項ではありません。

貴方は、そんな事に対して、大きなギャンブルをしてしまった事にお気づきでしょうか。

 

 

死の恐怖に捕りつかれたことはありませんか。死の恐怖に打ち勝つ方法

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           京都   鴨川になる直前の加茂川

 

 先日、阿部元内閣総理大臣非業の死を遂げました。彼が国葬に相応しいかどうか」を今議論することは、「死者に鞭打つこと」と私は考えます。

 ここは、黙って、阿部氏の来世への旅たちとご冥福をお祈りしようではありませんか

 本日は、「死」ということをテーマにしてみたいと思いのす。

 皆さんは「死の恐怖に捕りつかれたこと」はありませんか。私は、経験があり、その恐怖は、鮮烈に脳裏に残っております。

 私は幼い頃、祖母を胃癌で亡くしました死期近づいた時の祖母の顔は、私の知っている祖母ではなく、骨と皮だけに変わり果てた祖母でした。幼い私は祖母の顔が恐ろしくなり、近づくことさえできませんでした。

 祖母が亡くなり、お葬式の日、私は愚かにも火葬場まで付いて行きました

 当時の火葬場は、近代的ではなく棺を焼く時の釜の轟音が60年経った今でも、私の脳裏から離れません。

 私はその日から、「死の恐怖に憑りつかれた者」となりました。

 楽しいことをしていても、突然「死の恐怖」に駆られるのです。何処へ逃げても恐怖は付きまとうのです。

 私は精神的に異常をきたすほどになっていました。

 私の母は私の異変に気付き、私をキリスト教の教会につれていきました

キリスト教の教義にある「来世」の概念時の経過が、私を「死の恐怖」から救ってくれたようです。

 死の恐怖から逃れる方法はいくつかあると思いますが、「死」という出来事を色々な側面から研究する事役立つようです。

 まず、「自殺」について学んでおきましょう。

さて、「自殺」の概念が日本と西洋では全く違うという事を学びましょう。

 日本では切腹など自分の命を絶つことは、文化の一部として、敬意を払われるところがあります。しかし、西洋では、「自分で自分の命を絶つこと」は、「他人を殺すこと」と同じに扱われます 
 ですから、キリスト教の国自殺未遂すると、他の人を殺そうとする「殺人未遂」と同じ罪になり、警察に逮捕される国が 今でも存在します。

 理由は「自分の命も神が与えたものであり、自分のものではなく、他の人のために、世界のため、人の為、神のために使う命だからです。

 そんなキリスト教の教義の中で、一つだけ例外、「自分の命を犠牲にして良い場合」があります。

それは、「自分の命を犠牲にしなければ、他の人の命を救う方法が、他に無い場合のみ、自分の命を投げ出すこと」が許されます。

 キリスト教の教義では、これは「最も崇高な行為」として扱われ、「殉教」と呼ばれます。

 テロリストたちもよく「殉教」という言葉を口にします。しかし、テロリストの「殉教」キリスト教の「殉教」とでは天地雲泥の差があることを、心に留めてください。

 即ち、キリスト教では、「命を犠牲にして、他の人の命を救います。」

 しかし、テロリスト集団は「命を投げ出して、他の人の命を奪う」のです

 「天国」「地獄」なのです。

 この様に「死」に対して思考を深め、立ち向かうことは、「死の恐怖」に打ち勝つための一つの対処方法でもあります。

 

 私の独断ですが、大人と子供の境目は、死に対して何らかの解決策を持って生活しているのが大人で、死を考えないように、無知で逃げの姿勢で暮らしているのが子供だと思うのです。

 

対処法

 私のように、「神様・来世」を信じて死の恐怖に打ち勝つのも一つの方法ですが、神様がまだ苦手な方にご紹介したい人物が居ます。

徒然草」の著者、吉田兼好です。

 彼は、「人間の命は、短いから美しいのである。だから、短い一生をどのように使うかが大切である。短い故に、一日、一日を精一杯生きることが大切である。」と言うのです

 ある哲学者が、「人間は毎日自分の可能性を失って行く動物である。」と言っています。

そして、「毎日可能性を失って、ある人生の分岐点で、残された可能性から自分の進む道を選択しなければならない。」というのです。

 

 ならば、毎日努力をし、将来に、可能性を少しでも多く残そうではありませんか。

 若者の可能性は100%です。何でも出来ます。どんな職業にもつけるのです。若者の定義は、年ではありません。「心の持ち方・若さ」です。

 

最も効果的な対処法

最後に最も効果的な方法をご紹介します。それは、「恋をすることです。」

 年齢は関係ありません。「愛する人が出来れば、自分の命を掛けてでも、愛する人を守ろう、サポートしよう」という勇気が湧いてきます。

 

「愛は死よりも強し」です。だから、死の恐怖に打ち勝つことができるのです。

 因みに、クリスチャンが、自分を犠牲にしてまでも、友を救うという崇高なことができるのは、クリスチャンにとって、エスキリストは、「永遠の恋人」であり、自分も、愛するイエス・キリストの為に、死の恐怖に打ち勝つことが出来るのです。

 

 

 

 

人生の送り方 

                                                         

               

          ア ン ネ の バ ラ            京   都     


  人生を歩む途上で「苦しみ・悲しみ」に恐れ慄き、「トンネルの中」に居る人はいませんか。そんな人はぜひお読みください。 
  皆さんは、何か楽しいことに出会った時、「この楽しさが永遠に続けば良いのに」と思ったことはありませんか。また、何か美味しい物に出くわした時に、「こんなに美味しいものを毎日たべられたら」と思ったことはありませんか。
実はこれらは「大きな勘違い」なのです。 

 例えばここに3万円のステーキがあります。粗食しか食べていない私などは、「毎日このステーキが食べられれば」と考えてしまいます。しかし、実際毎日このステーキを食べ続けたらどのようになるでしょうか

 「5日でその美味しさの感動が無くなり、10日で飽きてきて、1か月で吐気を催します。」
 
人生も一緒です。

 何か素晴らしい出来事があっても、それが毎日続けば感動は無くなり、人生がつまらなくなるだけなのです。

「人生山あり谷あり」だからこそ楽しいし、「山あり谷あり」だからこそ、人は人生を送って行けるのです。

「お茶漬けのような粗食しか食べていない私だからこそ、3万円のステーキを偶に食べるからこそ美味しいと思える」のです。

 つまり、人生に於いても

「 苦しみや悲しみを味わっているからこそ、楽しみに出会った時に、本当の喜びを味わうことができるのだ」と思うのです。

 真珠苦しみの中から生まれる様に、私たちも、苦しみや悲しみを経験するからこそ心に思いやり・優しさ・ユーモア等心の中に生まれるのです。」
 
 このように考えるなら、人生を歩む上で不安を感じていても、また、悲しみや苦しみ・試練の長いトンネルの中に居ても、私たちは雄々しく人生の船出出て行けるのではないでしょうか。

 そしてさらに、「マイナス経験をプラス変えて人生を前に進める」信じています