スイス ローザンヌ湖 1978年
私は人生を歩む中で、神様から涙について「悟り」のようなものを学んだ気持ちでいます。
涙は本当に悲しい時、どん底の苦しみに悶えている時には、出ないようです。
悲しみ・苦しみのどん底に居る時には、何にも反応できないぐらい放心状態になるようです。
放心状態の時には、美しいものや,美味しいものに出会っても何も感じることができないのです。
このような極限状態の悲しみや喜びが長く続くと、人は死んでしまう「弱い動物」なのです。そこで、人間は死を防ぐために「涙」を流すのです。
この「悟り」のようなものに私が至ったのは、私の人生で2つの悲しみを経験したからです。
一つは、「長女が出産時に脳内出血を起こし、死ぬ確率三分の一、障がい者になる確率が三分の一、助かる見込みが3分の一」と医者から宣告された時です。
しかし、この時には涙が止め処となく流れました。これは私がまだ、健全だからでした。
もうひとつは、妻がウィルス性脳炎にかかった時のことです。
当初、妻は高熱とともに、記憶が無くなっていくのです。入院の時点では、妻の理性が無くなってしまいました。
暴れるので点滴での治療すらできません。そこで、医者は妻に麻酔を打ち、冷水ベッドで妻の熱を下げようとしました。その日以来、妻の意識は戻らず、妻は「植物人間」となりました。さらに、妻は自発呼吸が困難になり、緊急手術で喉を切開して、機械を使ってでしか呼吸ができない存在となりました。
通常の「植物人間」は意識がなくても、自分で呼吸できます。しかし、妻はもはや自発呼吸すらできない、「機械を使ってでしか呼吸できない物体」となってしまいました。
この時点で担当医は「これ程悪化するとは。もはや助かる見込みはないと思ってください。しかも、明日お亡くなりになるかもしれません。あるいは、10年間この状態が続くかもしれません。それは神様しか分かりません。」と宣告されたのです。
その日以後、親戚のものに助けられながらの「看護の日々」が始まりました。「私は絶望・悲しみのどん底に突き落とされました。」
このような状態に追い込まれて初めて、「涙がでない、放心状態」となりました。
「食べ物を食べても味がしませんし、春になって満開の桜を見ても何の反応もできません。」
このままいけば「死んでしまうのでは」と思うほど「極限状態」に追い込まれました。
そんな日々が続いたある日、私はどんな書物も読む気にならなかった時でした。偶然私の手元に「賛美歌の本」があることに気づきました。何気なしに手に取り、開いたページが私の愛称賛美歌「慈しみ深き」でした。「慈しみ深き友なるイェスは、悩み・悲しみにしずめる時も祈りに答えて、慰めたまわん。」
私は蚊の鳴くような声で、この歌詞を口ずさんでいました。
その時です。
突然、私の目に「涙」が溢れて来たのです。と同時に「今まで極限状態の緊張で張りつめていた私の体が癒され、解される」のが分かりました。「涙」について「悟り」のようなものを理解したのは「その瞬間」です。
人間は極限状態が長く続くと死んでしまう。それを防ぐために、神様は涙を人間に与えていてくださる。涙を流すことによって健全な心と体に戻れる。「涙は神様からの贈り物」なのです。涙を流せるというのは「健康の証」なのです。
これが自分の人生を通して、「涙」について私が学んだ悟りです。