春 を 待 ち 詫 び る 冬 の 自 然 岡 山 自 然 公 園
職業の中には、「志」無しに就くと、国民が困り、亡国に繋がりかねない職業があります。そのいくつかを何回かのブログに分け、紹介したいと思います。
先ずは、その最たるものが政治家です。昨年、政治家の特権の一つである、「文通費」100万円が、「当選後、数時間で支払われる」ということが問題視されました。我々国民の常識では、仕事をまだしていないのに、支払われるなど、あり得ないことです。
しかし、問題はもっと深いのです。この「文通費」については、国会議員は、何に使ったか報告がいらないのです。
この問題に関して、志ある議員を除いて、与野党どちらの議員も、「日割り計算にする」と言う事だけで、決着をつけようとしています。この特権を守ろうという姿勢では、問題発覚の切っ掛けとなった衆議院選挙当選前から議員をしている政治家は、失格と言わねばなりません。
政治家の「志」とは、「国民主権の日本にあって、国民の安全・健康のために、労を惜しまない」という姿勢のことです。
しかも、未だ、国民は「コロナ禍」という有事の事態に苦しみ喘いでいる最中です。
コロナ禍は「未曾有の災難」ですから、矢面に立った与党議員が、効果的な政策を打ち出しにくいのは仕方ないかもしれません。
しかし、その後ろに隠れて、何もしない与野党議員は、「政治家の資格無し」です。
特に、野党政党には失望しました。
いくつかの野党政党は、有事の国民の苦しみよりも、与党の政策だけに反対し、コロナ禍を利用して、政権奪取に近づこうとさえしました。
この姿勢は、日本の危機、「有事」に取るべき姿勢ではありませんでした。
なぜ、国民が苦しんでいるときに、自分たちの特権をそのままにして、政府の政策を批判するのですか。
「自分の身を削り、国民を救済するべきだと考えること」が先のはずです。
政治家が「自分の身を削って、苦しんでいる国民の救済」に乗り出せば、かなりの富裕層の人たちも、政治家に賛同し、救済に乗り出したはずです。
今までの野党議員の多くが、政治家失格の証は、「東京オリンピック開催に反対した姿勢」にも見て取れます。
そもそも、オリンピック開催に反対した根底には、「自分たちには、火の粉が飛んでこないように」という「事なかれ主義」があります。
自分たちに責任が来ないようにという、「責任逃れの姿勢」です。これは、「日本の悪習」です。
オリンピックを開催した事で、どれだけの子供たちや弱い立場の人々が、「勇気と励まし」を受けた事かを考えると、オリンピック開催に反対した政党は、猛反省するべきです。
国会議員の中には、自分たちの「特権」を削ることに消極的な人が居ます。
「特権が無くなれば、優秀な人材が政治家に成らなくなる」という意見です。しかし、私はその様な考え方には反対です。
この様な「特権」があるからこそ、「金儲けの為に政治家に成る者」や、「世襲議員」が蔓延るのです。
「世襲議員」の全てが悪いとは言いませんが、世襲議員のほとんどが裕福な家庭に育った「お坊ちゃま、お嬢様」です。
困窮した国民に、寄り添える政治家の資質の中で、最も大切な資質は、「人生を通して、苦労して来た経験・忍耐」です。
このような資質を備えた人こそ、「優秀」で、政治家に成ってほしい人なのです。
「現在の選挙方法では、金がかかるので、裕福な家族を持つ世襲議員が当選し、優秀な資質を備えた人物が排除されている」と、私は考えます。
コロナ禍を経験した私達国民は、「温室育ちの政治家では、有事の時には、頼りにならない」と思い知りました。
志のある政治家が当選できる様な「選挙制度」がぜひ必要です。
「コミュニケーション手段」が技術革新している現在、お金のかからない選挙方法は可能なはずです。
「志のある人物」が政界に躍進することを願って、この文章を世に問います。