真 夏 の 加 茂 川 京 都
元厚生労働省医系技官、木村盛世氏は、「日本の政府も専門家も、人の行動制限だけを規制することによって、ゼロコロナを想定しているが、これは誤りである。」と指摘しています。
私も同じ考えです。それは、イギリスの今までの対策を見ればよく分かります。イギリスは日本より厳しい行動制限をして、「ロックダウン」まで行いましたが、結果は惨憺なものとなりました。確かに、人の流れを規制している間は、コロナ感染は治まりましたが、ロックダウンを解除すれば、コロナ感染は増加し、人の行動制限では、コロナ禍は治まらないことを示しています。
現在、イギリスは、国民の7割のワクチン接種が進んでいるにも関わらず、死者1日90人です。一方、日本のコロナ患者死者は、一日20人以下です。イギリスの国民数は、6700万人で、日本の人口、1億2500万人の半分ですから、人口に対する死者の割合は、イギリスは、日本の10倍近くになります。
それでも、イギリス政府は、過去の「人の行動制限」に頼るのではなく、「コロナと共に生きて行く道」を選択しています。「ロックダウン」までして、人の流れを規制しても、コロナ禍は解決しないからです。しかも、行動制限によって、被った「経済悪化」は極限に達しており、このままでは、コロナウィルスで亡くなる人数よりも、経済破綻による、「自殺者・破産者」の数が圧倒的に上回ることになるからです。
しかし、日本では、いまだに「ゼロコロナの幻」を追って、人の行動だけを制限しようとしています。
これでは、経済破綻による「自殺者・失業者」が増えるだけで、コロナウィルスも少しの間だけ減るかもしれませんが、抑えることはできません。
日本もイギリスと同じように、「コロナウィルスと共に生きる社会」を構築していかねばなりません。それほど、日本の経済、特に、飲食店とその関連企業の疲弊は限界に来ています。
「コロナウィルスと共に生きる社会」を構築するためには、医療大国日本に於いて、もっと多くの病院・開業医・看護師が、コロナ禍に対処できる状況を創り出す必要があります。
その為には、コロナウィルスによる感染病をエボラ出血熱などと同等に扱うのではなく、基本的には、インフルエンザと同じ扱いにして、コロナ禍に立ち向かおうという志のある医師・看護師が関われるよう、国会・政府が協力して法整備をしなければなりません。
この事は、日本医師会も前向きに対処してくれなければ解決しない事でもあります。
「ゼロコロナ」は幻でしかありません。
現在、日本で感染拡大が起きているのは、オリンピックのせいではありません。コロナデルタ株の感染力が強い為です。
コロナウィルスはどんどん変化する株です。これからも変化し続けて、変則的に流行することが考えられます。「コロナと共に生きる」ためには、デルタ株だけでなく、変化した全てのコロナウィルスの流行に備えなければなりません。
感染拡大を想定して、医療大国、日本の力を結集しなければなりません。
医療逼迫を避けるために、病床のさらなる確保とともに、重傷者以外は、政府の方針通り「在宅医療」を基本とします。国会では、何人かの与野党議員がこの政府の方針に異議を唱え反対しましたが、これは議員たちの勉強不足です。日本の「在宅医療」は進んでいます。
私の父も、末期肺がんで、自宅で酸素吸入をしていたのを覚えています。自宅で酸素吸入はそんなに難しいことではありません。
症状が重くないコロナ患者には、医療不足の逼迫を避ける為、自宅で静養してもらい、各患者に「肺にある酸素をどれだけ血液中に運べているか測るパルソオキシメーターを貸出し、酸素飽和度が急激に下がるなら即入院になる制度」を構築します。
これが日本の進むべき道です。