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雲間からの月光 京 都
皆さんは、旧約聖書の中の「バベルの塔」のお話をご存知でしょうか。「各言語の起源としてのお話」という所でしょうか。しかし、この「バベルの塔」のお話には、旧約の時代からの「厳粛な教訓」が存在するお話なのです。そのテーマは「人類の傲慢さ」です。
タイタニック号は、20世紀の初頭に、その当時の最新の技術で造られた「不沈船」と呼ばれるほどの「優れもの」です。その当時の科学者たちは、「科学の粋を極めたタイタニック号」を自慢し、バベルの塔を創ろうとした人々と同じ望みを抱くようになりました。
「神にとって代わる」という野望です。
彼らはその野望を込めてタイタニック号の船底に、「神は死んだのだ」と書いたと言われています。これは、「もはや、人類は神の代わりに、自然界を支配できる存在になった。」という意味です。
20世紀初頭に、「人類の傲慢さ」は頂点に達しました。
ここに、「自然界の摂理」が働きます。
タイタニック号はその処女航海に於いて、氷山のために沈没してしまいます。
「自然界の摂理」が「人間の傲慢さ」を打ち砕いたのです。
地球・自然界とは、 神から私達人間に与えられたものではなく、マグマという血を滾らせる生き物だと私は考えています。
私達人間は、自由意志を与えられています。同じように、地球・自然界も自由意思を、神から与えられているようです。
神は、私達人間の自由意志を尊重されるように、自然界の自由意志をも尊重されるようです。
21世紀の初頭に於いても、「人間の傲慢さ」は頂点に達したようです。
現代の科学者たちの中には、傲慢にもゲーテ作品中の登場人物である、ファウスト博士と同じ選択してしまったようです。
「年老いたファウスト博士は、永遠の若さを手に入れるために悪魔に自分の魂を売り渡します。」
同様に、人類は永遠のエネルギーに魅せられて、悪魔に地球を売り渡し、地球が放射能によって、永遠に蝕まれてしまうことを許してしまったのです。
「福島原子力発電所」の事件がおきます。
この事件もまた、「自然界の摂理」が「人間の傲慢さ」を打ち砕いた事件だと言えます。
科学者たちは、「科学の進歩によって、人類は自然をコントロールできるようになった。」と過信し、傲慢にも、「原発は100%安全」という神話を打ち立てたのです。
この神話・過信を「自然界の摂理」が木端微塵に打ち砕いたのが、「福島原子力発電所の事件」の結末です。
人間の科学による進歩裏に潜む「人間の傲慢さ」と「自然の摂理」の関係を示す、「歴史上の出来事」を2例挙げてみました。
元々、人類は、自然に対して、歴史の初めから闘いを試みて来ました。しかし、その戦いは「人命を少しでも守ろう、救おう」という戦いでした。そうして、生み出されて来たのが「科学」です。
科学の歴史に於いて、「科学を武器に、自然から人の命を守ること」が、人類にとって最も大切なことだったのです。
それとともに、歴史の初めから、自然に対する畏怖と敬意が人類にはあったのです。
ところが、現代人は、この自然に対する畏怖の念を忘れかけているのではないでしょうか。
人間の「神の域に入り、自然界の支配者になろうとする傲慢さ」が、災害・病気等を招く結果に繋がっているのではないでしょうか。
「地球がこのままでは滅びる」と自然災害や感染病等により、「自然界の摂理」が、私達人類に繰り返し警告しているのではないでしょうか。
東日本大震災等を通して、私達日本人は、自然の自由意志と言う脅威に晒され、多くの尊い命を失っています。
その失われた尊い命を、私達は無駄にしてはいけないと思うのです。
「私達は、今現在の試練に勝利しなければなりません。
しかし、それとともに、「私たち現代の人間は、自然の摂理の警告に耳を傾けるべきではないでしょうか」というのが、
本日私の伝えたいメッセージです。
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